「こうのとり、たちずさんで」
テオ・アンゲロプロス(1991年/スイス=仏=伊=ギリシャ)
この欄の締め括りとして、タルコフスキー亡き後、現存する最も偉大な監督(もちろん私観)の新作を紹介させていただきたい。
作品は難民の集まる北ギリシャの国境の町を舞台にする。取材中のリポーターが難民の中に数年前謎の失踪を遂げた政治家を発見したことから話が発展していくが、 彼を追いかけていくうちに、我々自身の幻滅感や「国境と人間」というテーマ、国境を前に死か飛翔かと立ちずさむ人達の深い悲しみが語られていく。
「旅芸人の記録」を始めとし、アンゲロプロスの作品では必ず彷徨する人間が描かれているが、今回の彷徨はまさに、あらゆる試みの挫折からくる疲労と決定的な痛手を背負った残滓の旅であったと言えよう。信じるものもなく、静けさと寒さから身を守るように・・、政治への挫折感や、コミュニケーション、血縁の繋がりからの断続感をそれぞれ孤高の中に深く噛み締めた「内面の旅」が描かれている。そして、彷徨の行き着く末には、大きな河が命を分断するように横たわっているのだ。
国境を挟んだ無言の結婚式、寒々とした国境の駅で、難民たちの貨車を順々に映していく長い長いワンシーン、電柱の上に黄色い作業着の難民たちが登っていく不思議なラストシーン。映像は限りなく澄み、見えないものをさえ感じさせてくれる。 …このギリシャの大詩人はヨーロッパの憂いを一身に背負ったようなまなざしで時間と空間を見詰めていたのだ。
地球が奏でる深い悲しみと、人々の幻滅と哀悼の気持ちが、緩やかなアコーデオンの音色の中に血のように滲んだ作品。…人類の彷徨への「挽歌」であった。