「外科室」

坂東玉三郎(1922年/日)

坂東玉三郎の初監督作品は50分、千円均一という公開形態で話題となったが、 泉鏡花を取り上げるというところが個性的で興味深かった。原作は、鏡花の作品の中でもグロテスクなまでに耽美的な短編である。ある一瞬の出会いから秘めやかな胸のときめきをもった学生と婦人が、9年後、医師と胸を病んだ伯爵夫人として外科室で再会する。しかし、心に秘めた思いがうわ言になって出るのを恐れた夫人が麻酔なしの手術を依頼し、挙げ句にメスで自殺するという内容である。

映画は独自の美意識をそのまま継いで台詞までも忠実に再現している。また、面白いのは、カメラの長回しが多く、説明的な画面を極力避け、俳優の表情による直感的な表現を多用していた点である。これは映画的というよりも芝居や能、歌舞伎での全体的な感覚表現の特徴といえるのではないだろうか。

…秘めた思いを胸に手術台に上がる吉永の表情、純粋なものが極度に追い詰められた場所としての外科室、二人の内部へと凝縮されていくような造型的な美観… 映画は手堅く原作を捉えていたように思う。ただ大きな不満はカメラが美しいものに目を向け過ぎていることである。公園を散歩する一行を追ったところなど、 紅いツツジ、陽気、小川、・・艶やかな映像の狙いは鏡花の世界を浅薄で定型的なものにしている。光の具合や空気の動きという映画でしか表現出来ない微妙さにはかなり無神経で、映像は観念的な美を表現するには余りにも愚直でありすぎた。演劇では表現し得えない映像の「呼吸」ともいうべき微妙な感性…鏡花の世界はその戯れの中で表出してほしかった。