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永遠の青年〜福永陽一郎

あのとき、用意していた愚問「音楽に大切なもの何か?」と聞いたら福永陽一郎は何 と答えただろうか…?同志社グリークラブの学生指揮者になったばかりの私は、寺町 三条の料亭で先生と向き合って座っていた。着物姿の若い仲居さんが「学生さんどす の?」と微笑みながら袖を折って肉を焼いていた。先生はすでに5、6年に渡って人 工透析を続けているという身体であったが、一時期の体調不良を乗り越えており「最 近ようやく音楽が身体から溢れるようになってきたんだよ…」と私に語っていた。そ してそれを実証するかのうように、その年の『東西四連』での同志社グリークラブは、 本人をして「音楽の理想郷が出来た」と言わしめる「月光とピエロ」を演奏した。聴 いていた小林研一郎(当日早稲田を振っていた)が『陽ちゃん凄いよ、フルトヴェン グラーになったんじゃない!』と絶賛したことを嬉しそうに何度も話してくれたもの だ。その半年後、先生は突然亡くなる。私は、適切な言葉も見つけられないまま、聞 けなかった謎を探るように合唱指揮を続けていることになる。
福永陽一郎は、ひとことで言うと「反骨精神に満ちた純粋な不良青年」のような魅力 に満ちた人だった。鼻に付くアカデミズムや型に嵌ることが大嫌いで、学生だろうが アマチュアだろうが120%の音楽が大好きだった。ちょっと良いものではなく「びっく りするような音楽」や「このまま死んでも良いと思うような音楽」を一緒になって作 ってくれていた。私が、師匠の団体の名前にあやかりながら作った合唱団が「なにわ コラリアーズ」である。私自身が余りにも影響を受けていた反動から敢えて20年くら いの「脱福永時代」を経験したが、最近再び師匠の残したロマン派歌曲の男声編曲シ リーズにも取り組んでいる。やはり苦笑いしそうな無理のあるアレンジである。福永 陽一郎は「テクニックは大事だよ、でも分かりやすいだけでもだめだよ…」と、天邪 鬼のように笑いながら私の活動を見ている気がする。

P.s
冒頭の答え、福永陽一郎は「情熱」と答えた気もする。いや、やはりはぐらかしたに違いない。

ハンナ 2017年1月号に掲載
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