Top > 耳をすます
演奏の場面で・アルティ声楽アンサンブルフェスティバル・コーラスめっせ ・The Premiere ・なにわコラリアーズ ・淀川混声合唱団 ・合唱団「葡萄の樹」 ・みやこ・キッズ・ハーモニー ・エントアール ・同志社グリークラブ ・PLOVER Pure Blueberry ・寒梅館サマーコンサート ・城陽演劇フェスティバル ・畷ジュニアハーモニー ・【大学】客演&ジョイント等 ・【一般】客演等 ・その他 |
演奏の場面で・・・淀川混声合唱団
2000年7月〜淀川混声合唱団第12回演奏会より〜合唱について考えたとき、二つの大切なキーワードに辿り着きます。 …我々アマチュア合唱が「音楽をする」場面で最も大切にしたいのはイマ
ジネーションです。 しかしながら我々は決して「いずみホール」に一人立たされている姿を想 像することは出来ません。いったい何が出来るでしょう?。合唱というものそのものの仕組 みがそうであるように、高い音低い音お互いが音程を支え合い、聞き合い、感じ合うことに よってびっくりするほどのエネルギーを発揮出来るのです。 さて、我々は目標は「イマジネーション」と「仲間」を武器に「良い音楽」
を目指すことです。 また、今回客演いただく松下先生との出会いは、私をはじめ「よどこん」
のメンバーにとっては人生を変えるくらいの大きな遭遇だったように思います。音楽に対す
る考え方、合唱に対する接し方、何よりアマチュア合唱である我々の背中をトンと叩くよう
に励ましていただけたことが、我々の将来にとってはかけがえのない財産になるような気が
します。 2001年7月〜淀川混声合唱団第13回演奏会より〜なぜかいつも懐かしい気がする夏は、今年も緩やかに何事もないように 過ぎていきました。抜けるような空と、爽やかに過ぎる午後の日差しにはすでに秋の匂い を感じます。「よどこん」といえば、初夏の演奏会を続けてまいりましたが、今年は待ち 遠しくってどこかそわそわとしながら夏を過ごし、ようやく巡ってきたこの季節の落ち着 いた風と空気の中に演奏会を迎えることが出来ました。 ぼんやり考えていました。 もちろん我々は決して「いずみホール」に一人立たされている姿を想像 することは出来ません。音楽の喜びを我々自身の中で完結することは不可能です。 生きていることそのものが、多くの人との「分かち合い」によって支えら れているように、歌うことを通し…、我々の感性の鏡を通して、客席やここにいる仲間全体 と「生きている悲しみと喜び」を分かち合いたいものです。どんな平凡に見える日常にも、 それぞれの歴史や未来があり、内面のドラマが繰り広げられているはずです。…戦い、もだ え、胸を掻き毟り、歯を食いしばり、微笑み、励まし、届かない彼方に手を伸ばし、握りこ ぶしを作り、膝を抱える、…そんな情感の動き、気持ちの振幅そのものを仲間と歌う合唱と いう手段で表現していきたいものです。 無骨な気負いを半分…、しかし、少しでも身に沁みるような音楽が出来れ ば幸せです。 2003年9月〜淀川混声合唱団第15回演奏会より〜初秋は私の最も好きな季節です。爽やかな午後の風は思わず身震いするく らいに感受性を研ぎ澄ませ、茹だるような喧燥の中に忘れてきたものを緩やかに回復させて くれるような…そんな感じもいたします。この一年間「よどこん」はどれほど多くの発見を もったことでしょうか。新しい曲、新しい世界、新しい仲間…、新しい困難や新しい喜びに 満ちた歳月を重ねることが出来ました。そして、こんな素敵な季節に大勢のお客様の前で演 奏会を開催出来ることの幸せを噛み締めるのです。 いつも考えます。 誰にとっても上手く生きることが難しいのと同じように、上手く歌うこと は難しいです。しかし、一生懸命生きることと同様に、ひたむきに歌うことは、上手く歌え ないからこそ感じられる音楽の奥深さや、仲間の存在の大切さを気付かせてくれます。そし て、我々を包み込むようにして存在する音楽の力を信じさせてくれるものです。 いつも思います。 今年は尊敬、敬愛する飯沼京子先生に客演指揮をお願いし、様々な可能性 ある扉を開いてもらうことが出来ました。願うこと、祈ること、励ますこと、手をつないで ぬくもりを分かち合うこと…、音楽の魂が我々を包んでくれる瞬間を信じ、ひたむきな演奏 が出来ればと思います。 2005年9月〜淀川混声合唱団第17回演奏会より〜
この夏、京都におきまして「第7回世界合唱シンポジウム〜世界合唱の祭典:京都」が開催
されました。
さてさて、「よどこん」です。私が関与して15回目の演奏会になります。 2006年8月〜淀川混声合唱団第18回演奏会より〜眩しすぎる太陽を振り仰ぐと、子供のころの八月はどうしてあんなにも永遠のように輝いて いたのだろう?と思います。運動場の校庭で力いっぱい遊んだ後に水道の蛇口から思いっき り水を飲んだのも、夕立に降られてみんなで逃げ帰ったのも懐かしい子供時代の夏の風景で すね。早起きしてカブトムシを探したのも、昼寝の後に縁側で西瓜にかぶりついたのも、懐 中電灯をもっておかしな肝試しをしたのも子供時代の夏でしたね。 …守らなければならないもの、忘れてはならないものは、子供の心というものではなく、 「全身で感受し、全力を発揮するひたむきさ」に他ならないのだと自分に言い聞かせています。 ひたむきな活動、ひたむきな演奏…。転んでも起き上がり、ときに漠然とした不安に駆られな がらも振り返ってまた遊びに出かける子供のような無邪気さで合唱と関わりたいです。この夏 の「よどこん」の演奏会が去年よりどうだったかとか、来年に向けてどうであるとかいう以前 に、この場でこの仲間と目の前の人と音楽を分かち合いたい。今生きて輝いていると言うこと の全ての感情を今分かち合いたいと思います。 さて「よどこん」に関わって10数年、今年初めて委嘱初演という形で音楽を世の中に生み出す ことになりました。新しい作曲家が感じ取った世界を「新しい命」として世の中に送り出すの は我々自身なのだ…と考えると、身体が震えます。わくわくするような緊張感を全身にもって 本日の舞台に上りたいと思います。 2007年9月〜淀川混声合唱団第19回演奏会より〜
青空の中にも秋の気配が感じられる季節となりました。演奏会の日、願いを込めて(雨降らな
いよね・・・と)空を見ることは私の習慣ですが、空を見るたびに、この空の下に生かされている
ことの幸福を実感いたします。
この夏の初め、20年前に師匠(故:福永陽一郎)の演奏を見て感動した藤沢市民会館を訪れ、
師匠のレリーフを見つけました。様々な偶然から今指揮台に立とうとしている自分を励ます
言葉としていつも思い出します。 さて、本年の演奏会では、信長先生に無理をお願いいたしました。以前に聴いた時から「これは ぜひ混声にしてもらいたい・・・」と思っていた「くちびるに歌を」をよどこんの演奏で世に送り だすことになりました。この出会いにも全身全霊の気持ちを込めたいと思います。今日の日が新しい 何かの第一歩にもなるように。 2008年9月〜淀川混声合唱団第20回演奏会より〜朝の空気が半袖には少し肌寒いくらいに感じられる季節となりました。「そうそう、子どもの 頃の運動会の日の早朝がこんな空気だったなあ…」とか「きっと演奏会の日の朝もこの 空気だろうなぁ」と考えながら九月を過ごしてきました。ちなみに九月は最も好きな季節 でもあります。 私がこの合唱団でデビュー?したのが第3回目の演奏会ですから、かれこれ長い年月が経ち ました。10回目の演奏会をいずみホールで迎えた時には、20回目の演奏会なんて夢のまた 先のように感じていたものですが、時代全体に慌しさが増し、私を取り巻く環境も目まぐるしく 展開し、何か咀嚼する暇もゆとりもないまま今日、この演奏会を迎えているように感じています。 10年前に比べて少しくらいは上手くなったのでしょうか…?何だか、むしろやらなければなら ないことや課題は、日ごとに増え続けているようにも思えます。「我々は何のために歌い、 何を求めて演奏会をするのか」そういった演奏の根幹に対しては、これから、ますます真摯に 全身全霊をもって問い掛けていかねばならないようにも思います。
さて、本日のプログラムは特別なものです。 2009年9月〜淀川混声合唱団第21回演奏会より〜合唱団というものは出会の場であるとともに成長の場でもあるように思います。 淀川混声合唱団ではこれまで何人の人と人とが出会い、成長していったのでしょう か。20回の演奏会を越え(創立は24年くらいになりますか…)、当初のメンバ ーはほとんど存在していないですが、その時々の出会いから生み出されてきたエネ ルギーや培われてきたものを継承して現在があると言えます。そして、また現有の メンバーが様々な価値観や世界観と出会うこと、真剣に対象と格闘することによって 、次の10年に向かって合唱団として成長していかねばならないと考えます。
さて、合唱について考えたとき、二つの大切なキーワードに辿り着きます。 …我々は、作曲家が格闘しながら生み出した音楽と対峙し、ある時は自分の魂の 深奥で、またある時は日常生活の喜怒哀楽に結び付けて表現することが必要です。 我々は幸いにして昨年に引き続き今年も(団員でもある)北川昇氏の新曲を演奏 することが出来ます。(…昨年の新曲を中核に据え、一つの合唱組曲として完成…) 作曲家が音楽をイメージし譜面に記すために要したエネルギーと同じエネルギー を燃焼させ、今度はそれを音にして世の中に誕生させるのが合唱団の役割です。 決して合唱団自身の中で完結させることなく「想像力と仲間」という合唱の本質 とも言えるキーワードを大切に、我々の感性の鏡を通して客席の仲間全体と分か ち合ってみたいと思います。 見上げると秋の空に白い雲。凛とした秋風。美しい空気をいっぱいに吸って新し い音楽と対峙しながら、表現してみたいものです。 2010年9月〜淀川混声合唱団第22回演奏会より〜私の最も好きなこの季節に「よどこん」の演奏会が持てることを大変嬉しく 思います。夏が過ぎ、その火照りの中を新しい秋風が舞っていきます。見上 げると秋の雲は高く棚引き、吸い込まれていきそうな気分になりますね。時 間を越えていろんな時代のこの季節の思い出が蘇ってくるような懐かしい気 持ちにもなります。 「よどこん」演奏会は22回目のようです。ふと思い出しましたが、22と いう数字は子供の頃に好きだった数字です(なぜでしょう?)。ついでに、 私は第3回目から指揮をしていますから、まさに20回目の舞台ということ になるのですが、私は20年でこの合唱団を通し、いったい何人の人と出会 ってきたのだろうと考えます。客席で聴いてくださった方を含めると、一体 どれくらいの人と、人生の一部分、一瞬を一緒に過ごして来たのでしょうか? …合唱を続けていくことによって、(私のようなすぐ木陰に隠れたくなるよ うな人間でも)、たくさんの人と出会うことが出来、世界や時間を人との繋 がりで感じることが出来たのでした。「よどこん」の演奏会であるこの時期 は、合唱と出会ったことのありがたさや素晴らしさをかみ締め直す時期でも あります。
さて、今年も今の仲間と一緒に今しか歌えない歌を歌います。千原英喜先生の
「コスミックエレジー」のなんとスケールの大きいことでしょう。草野心平の
スケールを別の形で飲み込み合うような世界観の応酬で、目の前がぐるぐると
回っていくようです。信長貴富先生のロルカは、コクトーは、言葉の表層を越
えて胸の奥からざわめいているようです。私にとっての思い出の作品マーラー
の「さすらう若人の歌(大竹先生の混声アレンジ!)」は、何度私に大切なこ
とを教えてくれたことでしょう。世界は音楽という豊かさで満ちています。中
でも言葉の伴う合唱は、純粋な感性だけではなく、知性や世界観や人生観や様
々な経験値を総動員して我々を刺激し、成長させてくれます。我々はもっとも
っと音楽から学び、分かち合っていかねばなりません。そう考えると、音楽の
持つ奥深い力、合唱に出来ることの多さに奮い立つような気持ちになるのです。
2011年9月〜淀川混声合唱団第23回演奏会より〜
夏の終わり、秋の始まり…、風や空気や空の様子が変わり、移ろう季節…、
私の最も好きなこの季節に淀川混声合唱団の演奏会はあります。何だか懐か
しい思い出に包まれて眠ってしまいそうな、その一方で新しい何かが始まり
出しそうな、…空の様子を見ていると、そんな気分がします。天が高く透き
通り、手を伸ばしても届かない何かを見つめているようです。
さて、今年は3月の大震災で多くの方が犠牲になられました。また、その後
に思いもかけない形で、我々の歌仲間を亡くしてしまいました。亡くなられ
た尊い命の冥福を祈るとともに、ご家族にも落ち着いた日々が戻ることを願
います。 見上げると、白い雲。凛とした秋風。美しい空気を吸って、音楽としっかり 向き合っていきたいと思います。 2012年9月〜淀川混声合唱団第24回演奏会より〜
「よどこん」ももう24回目の演奏会、これまでに2ダースもの演奏会を
してきたということになります。私が関わったのは3回目からですが、思
い返すとその間いろんな時代があり、いろんな出来事がありました。メン
バーも規模も随分変わってきましたが、雰囲気は変わらず楽しく活動を続
けてこられたこと、そしてまた今年も私の最も好きなこの季節に「よどこ
ん」の演奏会が持てたことを大変嬉しく思います。 さて今年は、木下牧子先生の名曲、千原英喜先生の新作を演奏させてい ただくのに加えて、注目の若手作曲家(そしてピアニスト)である松本 望さんに自作の伴奏をしてもらうという幸運にも浴しました。私にとり ましても非常に大切にしたい曲でもあり、それを松本先生と共演できる ことを嬉しく思っています。昨年の震災を経て、「集まって歌うこと」 の意味と価値に向き合うことの多かった一年でした。いろんな人に支え られ、励まされての「よどこん」の活動、…気持ちを込めた演奏をした いと思います。 2013年9月〜淀川混声合唱団第25回演奏会より〜一つの団体が四半世紀を超えて活動しようとするということは、それなり に大変なドラマや苦難の道のりを経ているということでしょう。」「よど こん」の歴史を振り返る時、さまざまの場面で努力いただいた方、助けてい ただいた方々のことを思い出します。私自身の「よどこん」初舞台は第3回 目の演奏会に日本民謡を指揮した場面でありましたが、それまで、合唱団が 疲れ以外でハモらないことがあるなんて想像も出来ず、「本気で声出せ!」と 言ったら声を出したような相手(かつての「同志社グリークラブ」ですが)に しか練習をしたことがなかった私が、実は混声の譜面すら馴染めない状態で (ほぼ男声の譜面しか読んでこなかったので)指揮をしていたことを考えると、 淀川混声の歩みと指揮者としての伊東の歩みはともにあったのだと思います。 その合唱団が25周年を迎え、今日「いずみホール」で信長先生から超絶技巧 の!新作をいただき、舞台に立っているということは、大きな驚きであり、 感慨深い出来事とも言えるでしょう。 とは言え、我々にとって最も大切なのは合唱団の歴史でもなければ、その苦労話でも ありません。私は、今出る音にしか価値がないと思っています。受け継いできたこと、 培ってきたことが支えているとは言え、大事なのはこのメンバーで出来ること、 このメンバーでなすべきこと、このメンバーが目指すこと、もしくは、ここにいる 一人一人が、今日の日の観客を前に思い描く音楽表現、それがヴィヴィッドなもので あるかどうか、ということだと思います。今日ここで表現すること、ここから始まる 新たな歴史に向けて真剣に取り組んでいきたいと思います。 2014年9月〜淀川混声合唱団第26回演奏会より〜
今年と昨年の中間くらいに地味にオープンにした自らのペンネームと詩作について
ですが、私が作曲の機会を与えることにもなった作曲家に、考えてもいなかった
作詞の機会をもらうことになって6、7年が過ぎます。 音楽は常に「思い出」と「希望」とに開かれていると感じます。この音楽会が思い出 のように私たちの心をあたため、希望のように私たちに光を与えてくれるものになり ますように。 2015年9月〜淀川混声合唱団第27回演奏会より〜秋の夕餉を前に
夏の終わりから秋にかけての季節が私の最も好きな季節でした。そして、
放課後から夕餉にいたる時間帯が私の少年時代の最も私らしい時間帯であ
ったとも思います。特に習い事もなく、腕白で走り回っていただけでもな
いのですが、何をしていたのか、遊び疲れて夕焼け雲を見ながら帰り道に
着き、もしくは庭に足を投げ出しながら縁側に座り、音を立て湯気を立て
ている台所を見てほっとしたものでした。
さて、本日の「うたおり」の松下耕先生は、今をさかのぼること15年前に
私たちがいち早く関西に客演指揮者としてお呼びしたゆかりの指揮者・作
曲家でもあります。私の作詩した短い詩から素敵な歌を「紡ぎ、織って」
くださいました。(「ゆめおり」という続編?がありますよ) 2016年9月〜淀川混声合唱団第28回演奏会より〜
昨年の五月、特別編成の合唱団とともに松下耕先生とともにブルガリアから
コソボ共和国に行く機会がありました。政情不安からマケドニアルートが閉
ざされて、セルビアルートを辿り銃を持った兵士に検問を受けること4度、
ようやく訪れたコソボ共和国は、長く続いた内戦と混乱の後、国家の平均年
齢20代とも言われる恐るべき若さのうちに国を再生しようというプロジェク
トの真っただ中でした。クラスター爆弾による被害も生々しく、街の至るとこ
ろでは建物の建て替え工事が行われていましたが、復興の象徴のように通りに
施された植栽では5月の花が咲き誇っていました。生き残った世代である若者
たちはそのような空気の中で、「現代音楽祭」という催しを自ら企画し、プレ
スや会場作りの裏方まですべての準備をしてくれており、私たちはそこに参加
させてもらったのでした。遠くで聞こえてくるコーランの声に目を覚まし(多
民族、多宗教の混在)、日本から来た私たちがキリスト教の教会で 日本人の作
曲したスターバトマーテルを演奏したのでした。会場の割れんばかりの拍手と
スタンディングオベーションが忘れられません。 2017年9月〜淀川混声合唱団第29回演奏会より〜
今夏に、招待を受けて参加することが出来た第11回世界合唱シンポジウム
(バルセロナ開催)は、世界の豊かさ、歌の多様性、という当たり前のこと
を教えてくれるととともに「我々は何のために歌うのか」ということを改めて
考えさせる場となりました。また「平和の色彩」というテーマでのフェスティ
バルでしたが、声高に「平和」を叫ぶのではなく、「ともに歌い続けること」
によって成し遂げられることの一つに「平和」があるのではないか、というこ
とに気付かせてくれる機会でもありました。 2018年11月〜淀川混声合唱団第30回演奏会より〜
『詩(うた)を織り、夢を織り』 2019年9月〜淀川混声合唱団第31回演奏会より〜
今夏、縁があってエストニアの「合唱の祭典」(5年に1度の開催。世界文化遺産としても著名)に参加することとなりました。タリンの「歌の広場」の野外観客席は丘陵になっており、最後尾には(ちょうどこの音楽会を聴いているかのように)音楽の父エルネサクスの大きな銅像が設置されています。それによじ登る笑顔の少年たちの横で15万人の観客とともに聞いた2万人の合同合唱は、私の人生の中でも最も感動的な歌声の一つでした。白夜に無数のエストニア国旗が揺れ、灯った聖火の向こうには海が見えていました。やがて海と空の境目に夕日が薄く滲み、ヘルシンキから到着した船が汽笛を鳴らします。幻想的な光景に目を奪われているうちに、気が付くと、隣の男性もその隣のお年寄りも銅像によじ登った少年らも歌っていました。
「歌」って何て素晴らしいのでしょうか。 2021年9月〜淀川混声合唱団第32回演奏会より〜
常套句を排除したら何が残るのだろうと考えると、季節の輪郭だけが仄かに残る。 |