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演奏の場面で・・・淀川混声合唱団

2000年7月〜淀川混声合唱団第12回演奏会より〜

演奏会が始まる…。

合唱について考えたとき、二つの大切なキーワードに辿り着きます。
「想像力」と「仲間」…。

…我々アマチュア合唱が「音楽をする」場面で最も大切にしたいのはイマ ジネーションです。
自分の感性を音楽にぶつけること…、我々は、作曲家が格闘しながら生み出した音楽と対峙 し、ある時は自分の魂の深奥で、またある時は日常生活の喜怒哀楽に結び付けて表現するこ とが必要です。
我々一人一人は技術ではなくイマジネーションという最大の武器を媒介にどんなに拙くとも 「表現者」としてホールに立たなければならないと思っています。「励ましの音楽」「共感 の音楽」「共振の音楽」「癒しの音楽」…人生の持つ様々な感情の機微を音楽で表現するこ とこそ合唱団の最大の喜びなのではないでしょうか。そのために必要な要素が「想像力=イ メージの喚起力」であると思うのです。

しかしながら我々は決して「いずみホール」に一人立たされている姿を想 像することは出来ません。いったい何が出来るでしょう?。合唱というものそのものの仕組 みがそうであるように、高い音低い音お互いが音程を支え合い、聞き合い、感じ合うことに よってびっくりするほどのエネルギーを発揮出来るのです。

さて、我々は目標は「イマジネーション」と「仲間」を武器に「良い音楽」 を目指すことです。
「良い音楽」とは人の人生を変えるエネルギーを持っていると思います。

また、今回客演いただく松下先生との出会いは、私をはじめ「よどこん」 のメンバーにとっては人生を変えるくらいの大きな遭遇だったように思います。音楽に対す る考え方、合唱に対する接し方、何よりアマチュア合唱である我々の背中をトンと叩くよう に励ましていただけたことが、我々の将来にとってはかけがえのない財産になるような気が します。
音楽の喜びの分かち合い方は我々の中で完結してはなりません。
我々の感性の鏡を通して客席や合唱の好きな仲間全体と分かち合うことが出来ればいいな、 と考えています。

2001年7月〜淀川混声合唱団第13回演奏会より〜

歌うこと…。

なぜかいつも懐かしい気がする夏は、今年も緩やかに何事もないように 過ぎていきました。抜けるような空と、爽やかに過ぎる午後の日差しにはすでに秋の匂い を感じます。「よどこん」といえば、初夏の演奏会を続けてまいりましたが、今年は待ち 遠しくってどこかそわそわとしながら夏を過ごし、ようやく巡ってきたこの季節の落ち着 いた風と空気の中に演奏会を迎えることが出来ました。

ぼんやり考えていました。
「歌うこと」は「生きること」に近い…と。
そして、その生きることそのものに根差した「願うこと」「祈ること」、、我々はそれを 歌で分かち合っているのではないでしょうか。「励ましの音楽」「共感の音楽」「慰めの 音楽」「癒しの音楽」…人生の持つ様々な感情の機微を音楽で表現することこそ合唱団の 最大の喜びなのではないでしょうか。

もちろん我々は決して「いずみホール」に一人立たされている姿を想像 することは出来ません。音楽の喜びを我々自身の中で完結することは不可能です。

生きていることそのものが、多くの人との「分かち合い」によって支えら れているように、歌うことを通し…、我々の感性の鏡を通して、客席やここにいる仲間全体 と「生きている悲しみと喜び」を分かち合いたいものです。どんな平凡に見える日常にも、 それぞれの歴史や未来があり、内面のドラマが繰り広げられているはずです。…戦い、もだ え、胸を掻き毟り、歯を食いしばり、微笑み、励まし、届かない彼方に手を伸ばし、握りこ ぶしを作り、膝を抱える、…そんな情感の動き、気持ちの振幅そのものを仲間と歌う合唱と いう手段で表現していきたいものです。

無骨な気負いを半分…、しかし、少しでも身に沁みるような音楽が出来れ ば幸せです。

2003年9月〜淀川混声合唱団第15回演奏会より〜

歌を歌うこと…。

初秋は私の最も好きな季節です。爽やかな午後の風は思わず身震いするく らいに感受性を研ぎ澄ませ、茹だるような喧燥の中に忘れてきたものを緩やかに回復させて くれるような…そんな感じもいたします。この一年間「よどこん」はどれほど多くの発見を もったことでしょうか。新しい曲、新しい世界、新しい仲間…、新しい困難や新しい喜びに 満ちた歳月を重ねることが出来ました。そして、こんな素敵な季節に大勢のお客様の前で演 奏会を開催出来ることの幸せを噛み締めるのです。

いつも考えます。
なぜ我々は歌うのか、、と。
しかも誰一人上手く歌えないのに!

誰にとっても上手く生きることが難しいのと同じように、上手く歌うこと は難しいです。しかし、一生懸命生きることと同様に、ひたむきに歌うことは、上手く歌え ないからこそ感じられる音楽の奥深さや、仲間の存在の大切さを気付かせてくれます。そし て、我々を包み込むようにして存在する音楽の力を信じさせてくれるものです。

いつも思います。
上手に歌うのではなく、ひたむきに歌うのだ、、と。
驚きと発見に溢れた活動をするのだ、、と。
ともかく歌うこと、仲間と共に歌の恵みを分かち合うこと。
「歌うこと」は生きていることを確認する喜びに等しいものだと実感すること。
…歌は必ず我々に多くの扉を開いてくれるように思います。

今年は尊敬、敬愛する飯沼京子先生に客演指揮をお願いし、様々な可能性 ある扉を開いてもらうことが出来ました。願うこと、祈ること、励ますこと、手をつないで ぬくもりを分かち合うこと…、音楽の魂が我々を包んでくれる瞬間を信じ、ひたむきな演奏 が出来ればと思います。

2005年9月〜淀川混声合唱団第17回演奏会より〜

指揮者よりご挨拶

この夏、京都におきまして「第7回世界合唱シンポジウム〜世界合唱の祭典:京都」が開催 されました。
…そういえば、私の合唱指揮者?としてのスタートは実は学生時代の1ヶ月にわたるヨーロ ッパ演奏旅行(西ドイツ、スイス、ギリシャ、フランス)で11の教会コンサートで指揮を したことから始まっています。我々の歌うミサ曲の途中で跪き、深々と頭を垂れたお年寄り、 赤とんぼで涙を流した現地の日本人、取材して嬉しい文章を書いてくれたドイツの地元新聞、 …はにかみながら歓迎の踊りを披露してくれたクレタ島の女子高生たちは今頃もうお母さん になっているでしょうか…。気持ちを込めた音楽がいとも簡単に国境を越えてしまうことの 実感と、そこに感動し魅力を感じたことがその後合唱を続けていくことになった遠因であった かもしれません。
その後、個人的にはアメリカやカナダ、シンガポール、上海…と海外で合唱を披露し交流する 機会に恵まれましたが、言語が苦手な私ですら、音楽を通して気持を通い合わせることが出来 たこと、その橋渡しが出来たことに深い感慨を覚えたものです。
今夏の合唱シンポジウムに訪れた世界の合唱団は、もちろんレベル的にも素晴らしい高みを示 してくれましたが、ステージや歌声の多様さとコミュニティコンサートや公的+史的に繰り広 げられた交流会を通して、改めて「世界は広い、音楽は深くて素晴らしい」ということを実感 させてくれました。北欧合唱の澄み切った透明度は音楽生成の神秘と根源を感じさせてくれま したし、アジアやアフリカの合唱の民族色溢れるステージには、生活や生きることに根ざした 音楽を実感させてくれました。翻ってわが国の合唱を取り巻く環境が音楽の中身でなく結果に 一喜一憂するようなコンクール中心のそれであっては寂しすぎると強く思いました。音楽の根 源と向き合い、歌うことの大切さを分かち合い、生活の中に音楽を生かし、音楽や歌声によって 潤いある社会が営まれるにはどうすればよいか…?、「世界合唱シンポジウムを経て」合唱の 次世代を考えることが私達にとって非常に重要なことではないでしょうか…。それらの全てを 通して「音楽とは何か、歌うとはどういうことか、合唱することによって何が出来るか」とい うことを考えさせられる一週間となったのでした。

さてさて、「よどこん」です。私が関与して15回目の演奏会になります。
一昨年は「北欧/スウェーデンの歌」、昨年は「アジア・太平洋の歌」を取り上げましたが、 今年は「南米の歌」にチャレンジします。見よう見まねかも知れませんが、世界中にある素敵 な歌を味わうことは、世界中の歌の仲間達に思いを馳せ、その音楽を支える世界観を分かち合 うことだと考えています。その他にも知的なパズルのようなマンティヤルビ(シンポジウムで 直接出会いました!)の音楽やローリゼンの美しい宗教曲、そして私の大好きな作曲家でもあ る信長先生の作品等…プログラムだけは今年も多彩です。そのわりには?なかなか進歩しない 合唱団であるところがこの合唱団の個性でもありますが?、私はこの合唱団でこれまでどれく らいたくさんの人と出会いが持てたことでしょう。どれだけたくさんのお客さんと音楽を通し た気持ちの交流が出来、どれだけたくさんの音楽と巡り合い「思いを馳せる」ことが出来たで しょうか?
…仲間との出会い、音楽の恵みに感謝し、イマジネーションを持つことの大切さを胸に刻み、 今日も力いっぱい演奏してみたいと思います。

2006年8月〜淀川混声合唱団第18回演奏会より〜

指揮者より

眩しすぎる太陽を振り仰ぐと、子供のころの八月はどうしてあんなにも永遠のように輝いて いたのだろう?と思います。運動場の校庭で力いっぱい遊んだ後に水道の蛇口から思いっき り水を飲んだのも、夕立に降られてみんなで逃げ帰ったのも懐かしい子供時代の夏の風景で すね。早起きしてカブトムシを探したのも、昼寝の後に縁側で西瓜にかぶりついたのも、懐 中電灯をもっておかしな肝試しをしたのも子供時代の夏でしたね。

…守らなければならないもの、忘れてはならないものは、子供の心というものではなく、 「全身で感受し、全力を発揮するひたむきさ」に他ならないのだと自分に言い聞かせています。 ひたむきな活動、ひたむきな演奏…。転んでも起き上がり、ときに漠然とした不安に駆られな がらも振り返ってまた遊びに出かける子供のような無邪気さで合唱と関わりたいです。この夏 の「よどこん」の演奏会が去年よりどうだったかとか、来年に向けてどうであるとかいう以前 に、この場でこの仲間と目の前の人と音楽を分かち合いたい。今生きて輝いていると言うこと の全ての感情を今分かち合いたいと思います。

さて「よどこん」に関わって10数年、今年初めて委嘱初演という形で音楽を世の中に生み出す ことになりました。新しい作曲家が感じ取った世界を「新しい命」として世の中に送り出すの は我々自身なのだ…と考えると、身体が震えます。わくわくするような緊張感を全身にもって 本日の舞台に上りたいと思います。

2007年9月〜淀川混声合唱団第19回演奏会より〜

よどこん19回目の演奏会に

青空の中にも秋の気配が感じられる季節となりました。演奏会の日、願いを込めて(雨降らな いよね・・・と)空を見ることは私の習慣ですが、空を見るたびに、この空の下に生かされている ことの幸福を実感いたします。
 この一年もさまざまな出会いに彩られた一年となりました。
 新しいメンバーとの出会い、新曲との出会いだけでなく、3月には雨森先生の合唱団とのジョ イントコンサートがあり、合唱を通した素敵な出会いがたくさんありました。
 慌しく過ぎてゆく時間の中では、与えられた機会を当たり前のようにやり過ごしてしまいそう になりますが、一年の中での様々な出会いの大切さを考えたとき、この空の下に集まったメンバー と聴衆の皆さんとの出会いの偶然に気持ちを引き締めたくもなります。

この夏の初め、20年前に師匠(故:福永陽一郎)の演奏を見て感動した藤沢市民会館を訪れ、 師匠のレリーフを見つけました。様々な偶然から今指揮台に立とうとしている自分を励ます 言葉としていつも思い出します。
 上手に歌うのではなく、ひたむきに歌うのだ、、と。
 夢と情熱を持って活動をするのだ、、と。
 「仲間と歌うこと」は「仲間と生きている」ことを確認する喜びに等しいものなのだ、、と。
 師匠から言葉ではなく、棒で伝えられたこれらのことを忘れずに合唱活動を続けていきたいと 思っています。

さて、本年の演奏会では、信長先生に無理をお願いいたしました。以前に聴いた時から「これは ぜひ混声にしてもらいたい・・・」と思っていた「くちびるに歌を」をよどこんの演奏で世に送り だすことになりました。この出会いにも全身全霊の気持ちを込めたいと思います。今日の日が新しい 何かの第一歩にもなるように。

2008年9月〜淀川混声合唱団第20回演奏会より〜

淀川混声合唱団20回目の夏

朝の空気が半袖には少し肌寒いくらいに感じられる季節となりました。「そうそう、子どもの 頃の運動会の日の早朝がこんな空気だったなあ…」とか「きっと演奏会の日の朝もこの 空気だろうなぁ」と考えながら九月を過ごしてきました。ちなみに九月は最も好きな季節 でもあります。

私がこの合唱団でデビュー?したのが第3回目の演奏会ですから、かれこれ長い年月が経ち ました。10回目の演奏会をいずみホールで迎えた時には、20回目の演奏会なんて夢のまた 先のように感じていたものですが、時代全体に慌しさが増し、私を取り巻く環境も目まぐるしく 展開し、何か咀嚼する暇もゆとりもないまま今日、この演奏会を迎えているように感じています。 10年前に比べて少しくらいは上手くなったのでしょうか…?何だか、むしろやらなければなら ないことや課題は、日ごとに増え続けているようにも思えます。「我々は何のために歌い、 何を求めて演奏会をするのか」そういった演奏の根幹に対しては、これから、ますます真摯に 全身全霊をもって問い掛けていかねばならないようにも思います。

さて、本日のプログラムは特別なものです。
現在の日本合唱界においてはもちろん、私にとっても特に大切な作曲家である「千原英喜」 「信長貴富」先生の作品、そして年齢は超えてまるでパートナーのように思うこともある 若手作曲家「北川昇」さんの作品を取り上げています。
20回目の演奏会は、少しでも回顧的なものではなく、ここから始まる10年間のスタート ラインにしたいものです。

2009年9月〜淀川混声合唱団第21回演奏会より〜

21回目のよどこん

合唱団というものは出会の場であるとともに成長の場でもあるように思います。 淀川混声合唱団ではこれまで何人の人と人とが出会い、成長していったのでしょう か。20回の演奏会を越え(創立は24年くらいになりますか…)、当初のメンバ ーはほとんど存在していないですが、その時々の出会いから生み出されてきたエネ ルギーや培われてきたものを継承して現在があると言えます。そして、また現有の メンバーが様々な価値観や世界観と出会うこと、真剣に対象と格闘することによって 、次の10年に向かって合唱団として成長していかねばならないと考えます。

さて、合唱について考えたとき、二つの大切なキーワードに辿り着きます。
「想像力」と「仲間」…。

…我々は、作曲家が格闘しながら生み出した音楽と対峙し、ある時は自分の魂の 深奥で、またある時は日常生活の喜怒哀楽に結び付けて表現することが必要です。 我々は幸いにして昨年に引き続き今年も(団員でもある)北川昇氏の新曲を演奏 することが出来ます。(…昨年の新曲を中核に据え、一つの合唱組曲として完成…) 作曲家が音楽をイメージし譜面に記すために要したエネルギーと同じエネルギー を燃焼させ、今度はそれを音にして世の中に誕生させるのが合唱団の役割です。 決して合唱団自身の中で完結させることなく「想像力と仲間」という合唱の本質 とも言えるキーワードを大切に、我々の感性の鏡を通して客席の仲間全体と分か ち合ってみたいと思います。

見上げると秋の空に白い雲。凛とした秋風。美しい空気をいっぱいに吸って新し い音楽と対峙しながら、表現してみたいものです。

2010年9月〜淀川混声合唱団第22回演奏会より〜

淀川混声合唱団22回目の夏

私の最も好きなこの季節に「よどこん」の演奏会が持てることを大変嬉しく 思います。夏が過ぎ、その火照りの中を新しい秋風が舞っていきます。見上 げると秋の雲は高く棚引き、吸い込まれていきそうな気分になりますね。時 間を越えていろんな時代のこの季節の思い出が蘇ってくるような懐かしい気 持ちにもなります。

「よどこん」演奏会は22回目のようです。ふと思い出しましたが、22と いう数字は子供の頃に好きだった数字です(なぜでしょう?)。ついでに、 私は第3回目から指揮をしていますから、まさに20回目の舞台ということ になるのですが、私は20年でこの合唱団を通し、いったい何人の人と出会 ってきたのだろうと考えます。客席で聴いてくださった方を含めると、一体 どれくらいの人と、人生の一部分、一瞬を一緒に過ごして来たのでしょうか? …合唱を続けていくことによって、(私のようなすぐ木陰に隠れたくなるよ うな人間でも)、たくさんの人と出会うことが出来、世界や時間を人との繋 がりで感じることが出来たのでした。「よどこん」の演奏会であるこの時期 は、合唱と出会ったことのありがたさや素晴らしさをかみ締め直す時期でも あります。

さて、今年も今の仲間と一緒に今しか歌えない歌を歌います。千原英喜先生の 「コスミックエレジー」のなんとスケールの大きいことでしょう。草野心平の スケールを別の形で飲み込み合うような世界観の応酬で、目の前がぐるぐると 回っていくようです。信長貴富先生のロルカは、コクトーは、言葉の表層を越 えて胸の奥からざわめいているようです。私にとっての思い出の作品マーラー の「さすらう若人の歌(大竹先生の混声アレンジ!)」は、何度私に大切なこ とを教えてくれたことでしょう。世界は音楽という豊かさで満ちています。中 でも言葉の伴う合唱は、純粋な感性だけではなく、知性や世界観や人生観や様 々な経験値を総動員して我々を刺激し、成長させてくれます。我々はもっとも っと音楽から学び、分かち合っていかねばなりません。そう考えると、音楽の 持つ奥深い力、合唱に出来ることの多さに奮い立つような気持ちになるのです。
今日も、そのような感動を共有し合える場になればと思っています。

2011年9月〜淀川混声合唱団第23回演奏会より〜

淀川混声合唱団23回目の演奏会

夏の終わり、秋の始まり…、風や空気や空の様子が変わり、移ろう季節…、 私の最も好きなこの季節に淀川混声合唱団の演奏会はあります。何だか懐か しい思い出に包まれて眠ってしまいそうな、その一方で新しい何かが始まり 出しそうな、…空の様子を見ていると、そんな気分がします。天が高く透き 通り、手を伸ばしても届かない何かを見つめているようです。
淀川混声合唱団は23回目の演奏会を迎えます。

さて、今年は3月の大震災で多くの方が犠牲になられました。また、その後 に思いもかけない形で、我々の歌仲間を亡くしてしまいました。亡くなられ た尊い命の冥福を祈るとともに、ご家族にも落ち着いた日々が戻ることを願 います。
歌声は人々の心を癒し、励まし、勇気付ける力を持っています。演奏するこ とによって、私たちは生命の恩恵に感謝し、願い祈る気持ちを強く持つこと が出来ます。仲間と歌い、仲間の歌を聴き、仲間のために歌うことによって 私たちは連帯と想像力とを取り戻すことが出来ます。合唱が「愛と感謝」 「強い意志とメッセージ」に満ちた活動であることを願っています。
また、歌うことによって私たちはたくさんのことに気付かねばならないと思 っています。我々の活動が「歌そのものの存在意義」「歌に出来ること」の 確認に繋がることを願っています。あるいは、言葉やメロディーや仲間との 出会いが、私たちのすぐ傍にある見えない痛みや悲しみへの気付きに繋がら なければなりません。想像力を育み、寂しさや不安に寄り添わねばなりません。
そのような繊細さと逞しさを歌が与えてくれるはずだと信じます。

見上げると、白い雲。凛とした秋風。美しい空気を吸って、音楽としっかり 向き合っていきたいと思います。

2012年9月〜淀川混声合唱団第24回演奏会より〜

24回目の演奏会に寄せる

「よどこん」ももう24回目の演奏会、これまでに2ダースもの演奏会を してきたということになります。私が関わったのは3回目からですが、思 い返すとその間いろんな時代があり、いろんな出来事がありました。メン バーも規模も随分変わってきましたが、雰囲気は変わらず楽しく活動を続 けてこられたこと、そしてまた今年も私の最も好きなこの季節に「よどこ ん」の演奏会が持てたことを大変嬉しく思います。
夏が過ぎ、その思い出の火照りの中に新しい秋風が香ります。見上げると 空は高く、吸い込まれていきそうな気分になりますね。私の最も好きな季 節、…そう、テーブルに梨が盛られているのを発見しただけで嬉しくなる この季節のことです。

さて今年は、木下牧子先生の名曲、千原英喜先生の新作を演奏させてい ただくのに加えて、注目の若手作曲家(そしてピアニスト)である松本 望さんに自作の伴奏をしてもらうという幸運にも浴しました。私にとり ましても非常に大切にしたい曲でもあり、それを松本先生と共演できる ことを嬉しく思っています。昨年の震災を経て、「集まって歌うこと」 の意味と価値に向き合うことの多かった一年でした。いろんな人に支え られ、励まされての「よどこん」の活動、…気持ちを込めた演奏をした いと思います。

2013年9月〜淀川混声合唱団第25回演奏会より〜

25周年目の秋の空

一つの団体が四半世紀を超えて活動しようとするということは、それなり に大変なドラマや苦難の道のりを経ているということでしょう。」「よど こん」の歴史を振り返る時、さまざまの場面で努力いただいた方、助けてい ただいた方々のことを思い出します。私自身の「よどこん」初舞台は第3回 目の演奏会に日本民謡を指揮した場面でありましたが、それまで、合唱団が 疲れ以外でハモらないことがあるなんて想像も出来ず、「本気で声出せ!」と 言ったら声を出したような相手(かつての「同志社グリークラブ」ですが)に しか練習をしたことがなかった私が、実は混声の譜面すら馴染めない状態で (ほぼ男声の譜面しか読んでこなかったので)指揮をしていたことを考えると、 淀川混声の歩みと指揮者としての伊東の歩みはともにあったのだと思います。 その合唱団が25周年を迎え、今日「いずみホール」で信長先生から超絶技巧 の!新作をいただき、舞台に立っているということは、大きな驚きであり、 感慨深い出来事とも言えるでしょう。

とは言え、我々にとって最も大切なのは合唱団の歴史でもなければ、その苦労話でも ありません。私は、今出る音にしか価値がないと思っています。受け継いできたこと、 培ってきたことが支えているとは言え、大事なのはこのメンバーで出来ること、 このメンバーでなすべきこと、このメンバーが目指すこと、もしくは、ここにいる 一人一人が、今日の日の観客を前に思い描く音楽表現、それがヴィヴィッドなもので あるかどうか、ということだと思います。今日ここで表現すること、ここから始まる 新たな歴史に向けて真剣に取り組んでいきたいと思います。

2014年9月〜淀川混声合唱団第26回演奏会より〜

26回目の演奏会によせる

今年と昨年の中間くらいに地味にオープンにした自らのペンネームと詩作について ですが、私が作曲の機会を与えることにもなった作曲家に、考えてもいなかった 作詞の機会をもらうことになって6、7年が過ぎます。
小学校時代の苦手科目が唯一国語(作文・詩)であって、「言葉」を常に生の傍ら に携えていた父親をがっかりさせていたことを考えると、不思議なことではありま す。もちろん作曲家によって優れたフレーズを与えられなければ殆ど陳腐な文字列 でしかありませんが、幼い日にその父親から風呂場で詩歌を覚えこまされていたこ と、ある日開いた朝日新聞の一面(大岡信の折々のうた)に父親の短歌が掲載され ていて驚いたことを考えると、私の中に流れていたある地下水脈が偶然にアスファ ルトの隙間に埋まっていた種の発芽を促したと考えるにいたっております。
ということで、よく分からないままに生まれた合唱曲の数々の中から(どちらかと いうと身内の淀川混声合唱団においては封印してきておりましたので)実は今回初 めて、淀川混声合唱団の定期演奏会で2つの曲を演奏させてもらいます。偶然とは 言え、半分はずかしく半分嬉しいことでもあります。加えて、最終ステージは日ご ろから尊敬する清水敬一先生の指揮によるステージであり、お忙しい中客演指導 をいただけたことに感激し、記念すべき演奏会になったと感謝しております。

音楽は常に「思い出」と「希望」とに開かれていると感じます。この音楽会が思い出 のように私たちの心をあたため、希望のように私たちに光を与えてくれるものになり ますように。

2015年9月〜淀川混声合唱団第27回演奏会より〜

秋の夕餉を前に
      〜あなたがいて私がいて、音楽がある、ということ

夏の終わりから秋にかけての季節が私の最も好きな季節でした。そして、 放課後から夕餉にいたる時間帯が私の少年時代の最も私らしい時間帯であ ったとも思います。特に習い事もなく、腕白で走り回っていただけでもな いのですが、何をしていたのか、遊び疲れて夕焼け雲を見ながら帰り道に 着き、もしくは庭に足を投げ出しながら縁側に座り、音を立て湯気を立て ている台所を見てほっとしたものでした。
この人といると落ち着く・・・、このメンバーで歌うと落ち着く・・・、安心す る、ぬくもりを感じる、湿度を感じる・・・、ほっとする、夕餉を前にした 人たちの当たり前の幸福のように・・・。 そういう合唱団でありたいと思う ものです。

さて、本日の「うたおり」の松下耕先生は、今をさかのぼること15年前に 私たちがいち早く関西に客演指揮者としてお呼びしたゆかりの指揮者・作 曲家でもあります。私の作詩した短い詩から素敵な歌を「紡ぎ、織って」 くださいました。(「ゆめおり」という続編?がありますよ)
最終ステージ「天草雅歌」の千原英喜先生は、毎年のように私たちがその 作品を取り上げさせてもらっているこれまたゆかりの作曲家でもあります。 私の活動そのものにもたくさんの協力をいただき、たくさんの教えをいた だいています。
個人的には、今般、私が最も尊敬する作曲家のお二人の曲を並べての演奏 会に感慨深いものを感じます。
たくさんのご協力をいただき、曲に恵まれ、少しずつ成長して来た私たち の歌声が「音楽って良いなあ」という「音楽の恵みそのもの」の共有に繋 がることを期待しつつ、演奏したいと思います。
あなたがいて私がいる、そして、音楽がある・・・、と いうことは何と素晴 らしいことなのでしょうか。

2016年9月〜淀川混声合唱団第28回演奏会より〜

昨年の五月、特別編成の合唱団とともに松下耕先生とともにブルガリアから コソボ共和国に行く機会がありました。政情不安からマケドニアルートが閉 ざされて、セルビアルートを辿り銃を持った兵士に検問を受けること4度、 ようやく訪れたコソボ共和国は、長く続いた内戦と混乱の後、国家の平均年 齢20代とも言われる恐るべき若さのうちに国を再生しようというプロジェク トの真っただ中でした。クラスター爆弾による被害も生々しく、街の至るとこ ろでは建物の建て替え工事が行われていましたが、復興の象徴のように通りに 施された植栽では5月の花が咲き誇っていました。生き残った世代である若者 たちはそのような空気の中で、「現代音楽祭」という催しを自ら企画し、プレ スや会場作りの裏方まですべての準備をしてくれており、私たちはそこに参加 させてもらったのでした。遠くで聞こえてくるコーランの声に目を覚まし(多 民族、多宗教の混在)、日本から来た私たちがキリスト教の教会で 日本人の作 曲したスターバトマーテルを演奏したのでした。会場の割れんばかりの拍手と スタンディングオベーションが忘れられません。
宗教や国家を超えて祈りの音楽が通じたと思えた瞬間です。
「音楽とは何かを問う」というと大げさすぎるでしょうか。でも例えば私たちは 「音楽で何が出来るか」ということをしっかりと考え続けていかねばならないと 思っています。

2017年9月〜淀川混声合唱団第29回演奏会より〜

今夏に、招待を受けて参加することが出来た第11回世界合唱シンポジウム (バルセロナ開催)は、世界の豊かさ、歌の多様性、という当たり前のこと を教えてくれるととともに「我々は何のために歌うのか」ということを改めて 考えさせる場となりました。また「平和の色彩」というテーマでのフェスティ バルでしたが、声高に「平和」を叫ぶのではなく、「ともに歌い続けること」 によって成し遂げられることの一つに「平和」があるのではないか、というこ とに気付かせてくれる機会でもありました。
私が合唱の指揮をしだしてかれこれ30年。いろんなことが分かってきたよう で、まだ何も分かっていない状況であることに気付かされることが多いです。 カタルーニャの若者たちが歌い、サグラダファミリア教会の天井から降り注ぐ ように聞こえてきたパブロ・カザルスの「Nigra Sum」は、師匠から教えてもら った思い出の曲であり、思わぬ不意打ちに雷に打たれたような感動を得ました。 そしてその師匠が同時に教えてくれた曲が「鳥が」であったことを思い出しまし た。30年前の私は「鳥が」を自分が指揮することを夢見て指揮者に手を挙げた のでした。

様々な曲を演奏します。未熟であることは明日を夢見る力を得ていること、ただし 一生懸命に取り組めば、ということを肝に銘じ。

2018年11月〜淀川混声合唱団第30回演奏会より〜

演奏会に寄せるポエジア(メッセージの代わりに)

『詩(うた)を織り、夢を織り』

思い出の小箱を開けるとちびた色鉛筆たちが不揃いな顔を見合わせる。りんごの匂いのする決して消えない消しゴムとともに。

琥珀の樹液が溶けだすと私は呪文を唱える。
Asanishimasa、Asanishimasa
それは、言葉の森の奥にある、古い木の小屋の錠前を開ける合言葉なのだ。
ああ、言葉はなんともどかしいものなのだろう。
そして呟きとの間にはなぜこんなにも果てしない距離があるのだろう。
私は上手く語れない。
人生とはもどかしさそのものだ。
その苛立ちを静めるために、私たちは物語を織りなす。
歌を歌い、呪文を唱え…。

初めて歌ったのはいつだろう
それからどのくらいの時間が経ったのだろう。
コーラスが聞こえる
詩(うた)を織り、夢を織り
コーラスが聞こえる

思い出なんか嫌いだ。
ちょっとくらい心地よい歌など聞きたくもない。
私は歌声に挑んでいるだけなのだ。その胸を何度もどんどんと叩きながら、もどかしさをぶつけているだけなのだ。

コーラスが聞こえる。もう何十年もの間。

2019年9月〜淀川混声合唱団第31回演奏会より〜

タリンの歌声〜合唱の祭典

今夏、縁があってエストニアの「合唱の祭典」(5年に1度の開催。世界文化遺産としても著名)に参加することとなりました。タリンの「歌の広場」の野外観客席は丘陵になっており、最後尾には(ちょうどこの音楽会を聴いているかのように)音楽の父エルネサクスの大きな銅像が設置されています。それによじ登る笑顔の少年たちの横で15万人の観客とともに聞いた2万人の合同合唱は、私の人生の中でも最も感動的な歌声の一つでした。白夜に無数のエストニア国旗が揺れ、灯った聖火の向こうには海が見えていました。やがて海と空の境目に夕日が薄く滲み、ヘルシンキから到着した船が汽笛を鳴らします。幻想的な光景に目を奪われているうちに、気が付くと、隣の男性もその隣のお年寄りも銅像によじ登った少年らも歌っていました。 「歌」って何て素晴らしいのでしょうか。
そしてこの美しい光景をどう表現したら良いのでしょうか。
現地の音楽人からはエストニア国家が経験した幾多の苦難の歴史と、自国の言葉(自国の言葉を話すことが禁止されていた時期も長い)で仲間とともに歌うことこそが「自分たちの生の証」だったのだと教えてもらいました。
「ともに歌うこと」は励ましながら「ともに生きること」だったのではないでしょうか…。
隣の男性の音程は外れていました。その隣のお年寄はしゃがれた声でした。少年たちの歌は歓声と区別がつきませんでした。
でも、そのようにありたい、そのようにあらねばならない、と深く心に刻んだ夜となりました。

2021年9月〜淀川混声合唱団第32回演奏会より〜

静寂・そして歌声

常套句を排除したら何が残るのだろうと考えると、季節の輪郭だけが仄かに残る。
気が付けばいつものように九月だ。老舗の甘味処の「琥珀流し」はソーダ付きの生姜シロップから葡萄に変わっている。夏から秋へ。流れる雲は姿を変えている。満ち欠けを続ける月は地上のコロナ禍のことなど何も知らないだろう。色づく花梨の木は、右往左往する人のことを気遣ってはいても、夜ごとに膨らむ実の重みに満足して眠る。
一つの季節が終わり、その余韻の中で時は静かに発酵する。
合唱を取り巻く常套句は続く。
しかし、今日私たちは歌を歌っている。
何が大切かがはっきりしてきたからだ。
私たちが歌を歌ったなら、木々は揺れそよぎ、旅人は歩き始める。次の季節に向かって。
それが地球の脈動だと私たちは気づき始めている。

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