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 コロナ禍の中で

20−04 2020.10.2

緩やかにコロナが広がり出した頃に開催された「名古屋大学コールグランツェ」の演奏会についてはかなり心配をしましたが、何とか知恵を働かせて、団員同士の感染リスクも減らしながら無観客演奏会が出来ました。そのときには、「学生たちこの危機の中をぎりぎりの判断でよく工夫した、一つの演奏会のあり方を示しながらよく凌ぎ切った」と思いましたが、まさかこの影響が夏以後にも及ぶとは考えもしませんでした。 そこから長い間、合唱にとっては非常に辛い状況となりました。「密を避ける」というのは合唱にとってその根本を問われようなる非常に厳しい状態ということになります。
特に子供たちに合唱を教える際には、手をつなぎ、身体をぶつけて遊び合い、いかにして「人が密になることが楽しいものか」ということを体感させる取り組みをしておりましたので、人とディスタンスを取るということ自体が私の哲学やスタンスと矛盾をするということにもなります。「コーラスめっせ」や「アルティ声楽アンサンブルフェスティバル」を始めとするイベントも全て中止といたしましたが、何をするにしても「盛り上がろうと思えば思うほど」過密な状態となってしまうわけですから、この矛盾を乗り超えることが出来ず、「虚しさ」を感じてきたものです。
もちろん、「オンライン」は「個を繋ぎ合わせる」というもので、代替措置を取っていくときにはその道も探さざるを得ない訳ですが、(つまらない会議を省力化するには格段の効果を発揮するものの)どうしても私の立ち位置からすると、「技術やノウハウ」の表面的な指示に終わってしまうように思い、対面を100とすると満足感としては10にも満たない気がするのです。それでも「顔を見ることが出来る」というだけで、嬉しくなることもありますから、このテクノロジーには感謝をすべきところなのでしょう。

  
    

他方、コロナ禍の中での自分自身の過ごし方という意味では、私の場合、「本職」との間隙を縫って「合唱のために各地を飛び回る」という状況がなくなったので(それはこの20年くらいの中でなかった経験でしたので)合唱の問題とは全く別の話として、新しい発見がたくさんあったことは事実です。
一般的な生活というものを経験することが出来たようにも思います。京都の飲食店の営業が戻ってくると観光客が少ないので、いままで横目に見ていた(もしくはとても時間がなかったので足を運ばなかった)店に足を運ぶことが出来たことは新しい発見です。おかげで、今では「ラーメン」「カレー」「うどん」「蕎麦」「喫茶」に関しては、いくつかの店を紹介出来るまでにはなっているのですが、誰も京都に来ないので、紹介するにも出来ず、全くつまらないという状態でもあります。

      

合唱が恋しい…とか、合唱出来ないことがストレスだ…とか、そういう気持ちではなく、この不自由な時代において、合唱の灯を消さない努力をどのような形でしたら良いのか、と思案する日々が続きます。

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