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 なしのはなし

20−07 2020.10.2

幼い頃、よく「食べ物では何が好き?」と言う質問がありましたが、そう問われたときに、私はいつも答えに迷っていました。昭和でしたので「イチゴ!」「メロン!」とか「ケーキ!」という答えだと瞬時に「大きな共感」がその場に生まれるのですが、「梨」というのは、なかなかその場の空気を盛り上げにくいなあ、と思ったものです。しかも、イチゴも好きだし何ならパイナップルもオレンジも好きだから、わざわざ「なし」と答えるのもどうか、と子供心に思ったりしながら、それでも「梨!」と言うと、一瞬の間をおいて「ああ、梨、美味しいよね、私も大好きだよ」と、先生あたりが言ってくれるという状態を何度か経験したものです。

私の母親の実家は兵庫県の山陰海岸側の浜坂という町ですが、特急で言うと次に止まる駅は鳥取でしたから、ほぼ鳥取県との県境で、毎年秋になると祖父母が鳥取の「二十世紀梨」を大きな段ボール箱で送ってくれたものでした。
ちょうど九月下旬が私の誕生日ですので、毎年ピンポイントで私の誕生日かその前日に梨が届き、私はそれを今日か明日か…、と楽しみにしていたのでした。それから毎日梨三昧の日々が続くので、私としては一番好きな季節(9月中下旬)は二十世紀梨を待ちわび、大量の二十世紀梨とともに過ごし、その梨が尽きると、それほど好きではない学校行事の多い10月になっていく・・・という具合でした。そう、「移りゆく季節とともに過ごしていた」私の多感でナイーブな少年時代の気持ちに、「梨」が寄り添うように存在していたのですね。梨の季節が終わると、仕方ない次は早くクリスマスのある12月にならないかな、と思ったものでした。(その割には、葡萄や栗やふかしたお芋を楽しみに頬張った記憶も十分に残っておりますが…。)
今では、二十世紀梨だけではなく、他の品種も著しく品種改良が進み、本当に美味しい多様な梨が食べられますね。でも当時としては、市場で売っていた他の梨よりも鳥取の二十世紀梨が断然甘くて美味しく、洗練された味がしたのです。恐らく周囲の子供たちは二十世紀梨をあまり知らず、市場の梨についてはそんな好んで食べてなかった可能性があります。

祖父母は随分昔に亡くなっておりますが、9月になると別の地域から違う種類の梨を送ってくださる方がおられます。今年も美味しい梨にありつけました。この季節は朝や夕暮れには少し凛とした空気を感じ、そのはっとする瞬間に「梨の皮を剥く音」「梨の実の白さ」が似合うようにも思います。
梨を食べながら私は「ああ、いつまでも夏休み気分じゃないんだ」と思っていたようにも思います。同時に「いつまでも子供時代が続くわけじゃないんだ」「いや、でももうしばらくはこのままで良いのかな…」という気持ちを複雑に抱えていたようにも思います。程度の差こそあれ、すべての少年がそうであるように。

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