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 合唱物語「エレンと時まもりの木」

20−03 2020.10.2

山下祐加先生にまた新しく素敵な曲を作ってもらいました。
名古屋大学コールグランツェの「合唱物語シリーズ」の第6弾ということになります。私にとっても宝物のように大好きな曲、思い出の演奏がまた一つ増えました。

名古屋大学コールグランツェ山下祐加委嘱初演作品
混声合唱とピアノとヴァイオリンのためのメルヒェン「エレンと時まもりの木」
   作曲: 山下祐加 作詩: みなづきみのり
   指揮: 伊東恵司(音楽監督)
   伴奏: 小見山純一 ヴァイオリン: 前田妃奈
   演出: 二口大学 ナレーション: 広田ゆうみ
   日時: 2020年3月1日(日)16時開演
   場所: 刈谷市総合文化センター「アイリス」大ホール

作品は、以前から温めていた(温めすぎていた)ヴァイオリンと木と少女のお話を元にした合唱物語です。「エレンと時まもりの木」 本編には関係がありませんが、それぞれに纏わる思い出を少し。

(ヴァイオリン)
ヴァイオリンという楽器が、子どもの頃から憧れの楽器であったことから、ああ、ヴァイオリンを弾けたら良いなと思うことがありました。合唱を指導しながらもどこかヴァイオリンの音をイメージしてしまいますが、実際の音だけではなく例えば、ヴァイオリニストがヴァイオリンを弾いているあの「しなり」のような姿勢に美しさを感じているのかもしれません。
ですので、例えば、私は以前客演指揮をした大阪大学混声合唱団のフォーレのレクイエムでは、満を持して「ジョン・ラター編曲版」を使わせてもらったのですが、それはそこにヴァイオリンが一本入っていたからです。ほぼ、アニュスデイのためだけに、わざわざジュリアード音大を出てソロで活動されていた知り合いの知り合いの方にお願いをして、素敵なヴァイオリンを弾いてもらったものです。また、「みやこキッズハーモニー」の10周年記念で委嘱した「さびしがりやのサンタクロース」にも作曲家の松波千映子先生にはオプションでヴァイオリンを付けてもらっています。
木から生まれた楽器は多いですが、ヴァイオリンを始めとする弦楽器はその木目調の見た目もあって「木」を実感させてくれる気もしていました。
そんなこんなで、実は私の合唱物語用のテキストとして早くからヴァイオリンと木の話を書きかけたままお蔵入りさせていたのですが、山下さんに曲を作ってもらうと決めてから、山下先生にはぴったりだと思った「このテキスト」を引っ張りだして来て、修正しながら最後まで書いてみたというわけです。テキストは山下先生の手によって100倍も素晴らしい楽曲に生まれ変わりました。さらに、意外と重要なヴァイオリニストのキャスティングにはヴァイオリン販売会社の社長をしている同級生の仲介で、高校生ヴァイオリニスト(前年の日本音楽コンクールで2位を取っておられます)前田妃奈さんに弾いてもらうという奇跡的なことが叶いました。どうしても、ヴァイオリンを弾く女の子の話なので、ソリストのイメージが重要となるのですが、本当にぴったりで嬉しかったです。いろんなことの恵みで環境が整い、私としても想い出に残る理想的な演奏を得ることが出来たのでした。

(木)
聾学校の教員をしながら聾教育と手話通訳の活動に生涯をささげた父親は毎日多忙でしたが、子供たちには、様々な映画や芝居(音楽は習っているからあまりなかったが)を見せようとしてくれていたように思います。つまり、お子様向けのものではなく、本物を見せるという主義でしたので、私は本当は行きたかった怪獣映画やヒーローアニメには連れて行ってもらえず、父の眼鏡にかなった映画やお芝居や美術展に連れて行かれたのでした。黒澤明の映画なんかは面白く見ておりましたが、現代美術展とか云々は、ややどんよりした気持ちでついて行ったものです。
ある時、「アメリカン・デフ・シアター」というアメリカの聾者の劇団のパントマイムに連れ出されたことがあります。やはり年齢が小さいので、よく分からず、そこまで興味を引くことが少なかったのですが、一つだけ分かりやすく興味深かった話があり、それが心に残っていました。木の話です。木は少年にとっては遊び相手、青年になると木は青年に望まれるまま、自らの枝や幹を与えて家や船を作らせ、最後にはすっかり切り株だけになってしまいます。やがて、老人になったかつての青年は木のそばに戻ってくると、休息する場としての切り株に座ります。
この木の話だけが、子ども心にずっと胸に残っていました。

ご存じの方はおられると思いますが、この話が、著名なシルバシュタインの「大きな木」という童話(作品)であったことを知ったのは大学生になってからでした。シルバシュタインの「僕を探しに」に心動かされ、他の作品はどんなものか、と調べたときに見つけたのでした。
もちろん様々な見方(感じ方、味わい方、解釈)をされる作品で、絵本と子供の頃に見たアメリカン・デフ・シアターでの印象はまた別のものでしたが、「木が」人のそばにいること、「木が」人の役に立ついろんなものに姿を変えること…が、子どもの頃の私にとって印象深く、そのままずっと心に残っていたように思います。
この度の私のテキストの内容とはあまり関係のないことではありますが、私は、どうも木に関するテキストが多いようで、無意識のうちにずっと心の底にこのシルバシュタインの物語の「謎」や「子どもの頃に受けた小さな衝撃」があるのかもしれないと思っています。

(エレン)
もちろん、太郎とか花子(むしろいない)とかそういう感じで、ある種の架空性のある一般化された名称として使ったわけですが、故テオアンゲロプロスのエレニを思い出します。完結しなかったトリオロジーですね。

(ある街角の物語)
まあ、カルトクイズのようなもので、そこまで「私のテキスト」に興味を持たれる方もいないと思いますが、私の精神性の中心には手塚治虫があり、このタイトルの初期アニメ作品もまた深く心に残っています。
どこかの時代、どこかの街、クマのぬいぐるみを持った女の子、道路越しに向かい合うピアニストの女性とヴァイオリニストの男性のポスター、ポスター同士の恋、プロパガンダによる独裁者のポスターへの張替え、戦争による破壊。…リリシズムが型通りであったとしても、典型的な話芸であったとしても、その散華のパターンが批判されたとしても、一つの美学として私は大好きなのです。きっとエレンの話の「テイスト」はここからも来ているようには思います。

…演奏会は3月1日で、コロナの影響の最初の頃でした。1000人以上の集客を想定していたことからすると、願った形の初演には遠かったですが、逆境の中で学生たちはめげずに、様々な方面と交渉し、知恵を働かせて手を尽くし「無観客(関係者のみ)コンサートの動画配信」という形で演奏してくれました。学生らしくよく頑張ってくれたと思っています。何とか初演したい(卒業する学生もいるので、延期は厳しい)と思っていましたので、ひとまずホールで演奏が出来たことは本当に良かったですた。山下先生にはいつも拙作を素晴らしい曲に変えていただき、前田妃奈さんには当て書きかと思うくらいにぴったりの素晴らしい演奏をしていただきました。ナレーション、演出、ピアノ、各方面に感謝しかありません。
また、どこかで再演したいと思っています。

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