零れ落ちている愛すべき小品たちを掻き集める。
犬の生活 チャールズ・チャップリン 1918
キッド チャールズ・チャップリン 1921
サーカス チャールズ・チャップリン 1928
そして、取りあえずのとどめとして、実は最初の10本に入れるべき作品 であるのだが、あえて他の作品から独立させることで一際その思い出を大 切にしたいという愛すべき作品2本。
「戦争は僕らの長い夏休みだった」・・という言葉に現れない述懐と、暖炉 のついた寝床のぬくもりが忘れられない永遠の傑作。
肉体の悪魔 クロード・オータン・ララ 1947
映画の美しさと人間の怖さと弱さと愛しさがほとばしるように詰め込まれた奇跡の大傑作
狩人の夜 ロバート・ミッチャム 1955
…それからついでに、実はこんな素敵な作品にであったという記憶をとどめておきたいたいという佳品。
萌の朱雀 河瀬直美 1997
夢見るように眠りたい 林海象 1986
廃市 大林信彦 1983
そういえばこの監督の作品を書き漏らしていたということに気付く。
そこで10本
恋人たち ルイ・マル 1958
いとこ同志 クロード・シャブロル 1959
ぼくの伯父さん ジャック・タチ 1958
カオス・シチリア物語 タヴィアーニ兄弟 1984
アポロンの地獄 ピエロ・パオロ・パゾリーニ 1967
密告 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー 1943
灰とダイヤモンド アンジェイ・ワイダ 1957
ツィゴイネル・ワイゼン 鈴木清順 1980
飢餓海峡 内田吐夢 1965
王将 伊藤大輔 1948
素晴らしき哉、人生 フランク・キャプラ 1946
いやいや、まあこれにもたまには一票投じておいてもいいんじゃないかという作品
芙蓉鎮 謝晋 1987
ブリキの太鼓 フォルカー・シュレンドルフ 1979
予告された殺人の記録 フランチェスコ・ロージー 1987
雨の中の女 フランシス・コッポラ 1969
アニー・ホール ウッディ・アレン 1977
幸福 アニュス・ヴァルダ 1965
ミモザ館 ジャック・フェデー 1935
山の焚火 フレディ・M・ムーラー 1985
泥の河 小栗康平 1981
田園に死す 寺山修司 1974
バンド・ワゴン ヴィンセント・ミノリ 1953
シュレンドルフは奇跡的な傑作を作ったが才気に溢れているとはいいがたい。アレンは基本的に嫌いだ。しかし、まあこの作品一本だけなら悪くはないのではないか。コッポラは素直なこの作品がベストではないかと思う。
<痛快映画傑作十選>
生きるべきか死ぬべきか エルンスト・ルビッチ 1942
リバティ・バランスを撃った男 ジョン・フォード 1962
リオ・ブラボー ハウアド・ホークス 1955
北北西に進路を取れ アルフレッド・ヒッチコック 1959
殺人カメラ ロベルト・ロッセリーニ 1948
黄金 ジョン・ヒューストン 1948
用心棒 黒澤明 1961
幕末太陽伝 川島雄三 1957
<サスペンス十選>
誘拐魔 ダグラス・サーク 1947
穴 ジャック・ベッケル 1960
抵抗 ロベール・ブレッソン 1956
十字路の夜 ジャン・ルノワール 1932
ナチス大追跡 オーソン・ウェルズ 1946
飾り窓の女 フリッツ・ラング 1960
見知らぬ乗客 アルフレッド・ヒッチコック 1951
三つ数えろ ハウアド・ホークス 1946
天国と地獄 黒澤明 1963
必ずしもその監督のキャリアを代表するものとはいえないが、 少し感傷的になりながら擁護したくなる十本の傑作
楊貴妃 溝口健二 1955
東京暮色 小津安二郎 1957
まわり道 ヴィム・ヴェンダース 1974
捕らえたれた伍長 ジャン・ルノワール 1961
そして船は行く フェデリコ・フェリーニ 1983
不良少女モニカ イングマール・ベルイマン 1952
熊座の淡き星影 ルキノ・ヴィスコンティ 1982
やさしい女 ロベール・ブレッソン 1969
ああ結婚 ヴィットリオ・デ・シーカ 1964
書かれた顔 ダニエル・シュミット 1995
擁護すべき作品5つ。そして、たいした作品ではないかもしれず、 また、その名をだすのも気恥ずかしい気もするのに実はやっぱり好きだという作品
太陽がいっぱい ルネ・クレマン 1960
野菊の如き君なりき 木下恵介 1955
シベールの日曜日 セルジュ・ブルギニョン 1962
シェルブールの雨傘 ジャック・ドゥミ 1964
心の旅路 マービン・ルロイ 1942
誓いの休暇 グレゴリー・チュフライ 1959
旅路の果て ジュリアン・デュヴィヴィエ 1939
ロミオとジュリエット フランコ・ゼフィレッリ 1968
ブーベの恋人 ルイジ・コメンチーニ 1963
我ら人生最良の年 ウィリアム・ワイラー 1946
また遭う日まで 今井正 1950
砂の器 野村芳太郎 1974
「太陽がいっぱい」の哀しい魚市場の場面。水鏡のような「野菊」の映像。 かつて好きだったロマン・ロランの見事な翻案。水墨画のような森の中の映像。 「シェルブール」はどうしようもなくつまらないと思いながら我慢しているうち、 最後のミニチュアセットのようなクリスマスのシーンにしっかり泣かされてしま っていた。
最後にどさくさに紛れて潜りこます。
神の伝道師フランチェスコ ロベルト・ロッセリーニ 1950
オーソンウェエルズのフェイク オーソン・ウェルズ 1974
自由の幻想 ルイス・ブニュエル 1974
乱 黒澤明 1985
さすらいの二人 ミケランジェロ・アントニオーニ 1974
山猫 ルキノ・ヴィスコンティ 1964
二四時間の情事 アラン・レネ 1959
柔らかい肌 フランソワ・トリュフォー 1963
モード家の一夜 エリック・ロメール 1968
ハリーの災難 アルフレッド・ヒッチコック 1955
カルメンという名の女 ジャン・リュック・ゴダール 1983
東京画 ヴィム・ヴェンダース 1985
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映画の事を考えると、夢のような時間と空間が溢れ出してくる。 足しげく映画を見に大阪に通ったころ、決して無茶な本数をこなしたり、あるいはまた誰と語るということもなかったのだが、そのメディアの持つ不思議な魅力に引き込まれていた。 いや、まさにその魅力は映画館の暗闇そのものにあったのではないかと思う。映画は光の芸術である以前に暗闇の芸術であると確信しながら、長い間思い出したように映画を見ては、 評論らしい評論を書くこともなく溜め息を漏らしつづけていた。
それにしても、白紙の紙を前にした時、どうしてもいろいろな思いや記憶が洪水のようにな って溢れ出してくるのを感じる。結局は白紙のままにしておいて紙切れが風にさらわれてしまうのを待ってる方がいいのかとも思うが、せめて記憶に深く残るタイトルを列記することによって、紙をイメージで賑わしてやろうという考えに至ったとき、自分の小さな手帳の中の消えかかった鉛筆の文字を拾い出してみて、映画がその場の空気と共に記憶に残っている ことを確認した。
よくタイトルをあげることによって面倒なコミュニケーションの手筈を潜り抜けてしまう。 「ノスタルジア」と出さずに「鏡」と出したところが自分であるし、それをなるほどというまなざしで受け止めてもらうことほど幸福なことはない。つまり、作品を愛する感情は、人の内面と深い部分で繋がっているのだと言いたい。僕の心の奥底で響いているのはやはりコ クトーのささやきであり、「鏡」の風景である。そういったものを心からすくいとったときに 改めて自己の本質を突き付けられる気がする。自分の物でもない作品に取り囲まれている至 福とは、それを愛する気持ちが何の飾りも無い自分の本質に他ならないからだろう。
こう書いてしまうと大袈裟なようだが、いささか混乱し出した頭と、締め付けられるような印象の集積を胸に持ち続けることの苦しさから一時的に少しだけ解放される事を願って、いや、あるいは、個人的な記憶の整理のために、思い付くタイトルを吐き出し、パズルのように並べかえてみただけのことである。ささやかな遊び心とでもいうのだろうか。
1989.11 初校
1998.2.28 改訂
・・1989年の11月。ベルリンの壁が崩壊した日に生まれた雑誌[耳] の創刊号のために寄せた文章より若干の修正を加えて抜粋。
タイトルの中身についてはその後観た映画を含め、入れ替えを行った。
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