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軽井沢の空   〜第2回軽井沢合唱フェスティバルに参加して〜

ときに視線について考える・・・。澄み渡った空気の中をどこまでも伸びていく視線について。 憧れをもって空や樹を見上げる視線について。穏やかに子どもや草花を見下ろす視線につい て・・・。うたには視線が伴い、視線には情感が伴い、瞳には表情が浮かび上がる。そして、 それらの視線と視線とが緩やかに交錯するとき、そこに生じるのはきっと微笑みなのだ・・・。
この夏、軽井沢の空気の中では様々な人の視線が通い合い、そこかしこにたくさんの種類の 微笑みが溢れていた・・・。

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8月18日から3日間開催された「第2回軽井沢合唱フェスティバル」は、昨年にも増して素晴 らしいフェスティバルに成長していた。私は昨年の「合唱団:葡萄の樹(京都)」に続いて、 大阪の男声合唱団「なにわコラリアーズ」を率いて参加させていただいた。恥しがり屋でナ イーブな京都のメンバーたち(昨年)はもちろんのこと、全日本合唱コンクールに出場を続 け、海外の合唱祭やシンポジウムに出向いた経験もある騒がしいメンバーたち(今年)にと っても、軽井沢での体験は刺激的な思い出となったようであった。
軽井沢合唱フェスティバルの特徴は、例えばこのようなことだろうか?

・<ワークショップの開催(発声、指揮法、伴奏、合唱、海外の合唱事情の紹介)>
・<30分間が確保されているゲスト団体の演奏(混声、男声、女声、児童、ユース)>
・<宿泊型であり、団員個人個人が親しくなれる交流会の開催>
・<そして何より全てが試行錯誤の伴う「手作り」であること>

また、喧騒から離れたバカンスの空気の中で、夏という季節の持つ高揚感のようなものがそ れらの特徴を強烈にバックアップしているようにも思う。
実際、新たなテーマ曲やファンファーレ、素晴らしい講師陣によるワークショップはもちろ んのこと、各地から集まったゲスト団体の演奏も本当に感動的なものだった。ベーレンコール (長野)の洗練された歌声と初演を含む珍しいプログラム、児童合唱が世界の共通語であるこ とを改めて認識させてくれる小田原少年少女合唱隊(神奈川)の完璧ともいえるステージング、 デビューの一年生も含めた立正大学グリークラブ(東京)の若さ溢れる溌剌とした演奏、14 名のメンバーで歌ってくれたウィスティリアアンサンブル(北海道)の涙の出るような熱演。 個性溢れる各団体の演奏はそれぞれコンクールのステージでは見ることの出来ない様々な表情 と豊かさを含んでいた。また、なにわコラリアーズ(大阪)も我々が何よりも力を注いでいる 「楽しい演奏会」の取り組みの一端を披露出来たことが嬉しかった。

・・・ことごとく合唱とは「関係性」というものに依拠し、それを強く意識させる文化芸術だと 感じる。一人では合唱は出来ない。他パートとの関係性の中でアンサンブルが生じ、アンサン ブルにおいては、<会話する><同意する><息を合わせる>というような関係性を中心とし たアプローチが重要となる。しかしながら・・・、にもかかわらず、どうだろう?例えば合唱コン クールのような場面では、我々は全員が「同じような視線」を持ちすぎていないだろうか?合 唱祭のような場面でも我々は多様な「視線を交し合っている」だろうか?結果の妄信、自分の 団への固執、中央からの発信待ち・・・、他団の演奏やアプローチに心からの拍手を送ることもな く、学ぶ機会も刺激を受ける機会も、会話を交わして新しい仲間を作る機会も逃してしまって いるようなことはないだろうか?
ともすると「膠着しがちな」視線について、ほぐし、開放し、交錯させてくれる場としてのフ ェスティバルの意義は大きい。つまり、参加者は様々な視線とそれに伴う気持ちや課題を持ち 寄って集い、歌い、聞き、学び、語り合い、分かち合い、ときに教え、伝え、握手し、抱擁し、 目配せをし、涙も流しながら再会を誓い合う・・・。言うなれば、「競い合いと囲みこみ」を誘発 する硬直的な視線とは対極的に、このフェスティバルは言葉によって織り成される物語のよう に「広がりをもって形作られて」いるのではないだろうか。

・・・視線の交わる場として象徴的な「五角形」のホールも、見上げると全てを穏やかに見下ろし てくれる星空も、突然の轟きに驚いて目を合わすことになる雷雨も、視線をなごませる木々や 池の鴨たちも、新しい文化の醸成を見守るバックグラウンドに違いない。このフェスティバル の先には、「個性」や「多様性」や「双方向性」という21世紀的なキーワードに満ちた合唱の 本来的な道筋を感じる。そして10年後には、ここで発信された様々なメッセージが各地に拡が り、合唱界全体の新たな隆盛に繋がっていることを夢見るのである。

P.s 交流会の終わったあと、かつて北海道で出会い、ほのかな交流のあったウィスティリ アのメンバーが私を呼び出し私のためにうたを歌ってくれた。少し前に父を亡くしていた私の ことを知っていて、「励ましの歌」を歌ってくれたのであった。大きな歌、小さな歌・・・、それ に伴い様々な視線が行き交ったフェスティバルの最後に小さな花束のような歌のプレゼントが 嬉しかった。軽井沢合唱フェスティバルは、「必ずどこかで恩返したい」という気持ちが「微 笑み」とともにそこかしこで溢れた素敵なフェスティバルに成長し始めているのである。

2006年『合唱表現18号』より
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