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 「合唱団:葡萄の樹」10周年に軽く乾杯

08−14 2008.12.26

budou2008 「合唱団:葡萄の樹」が10周年を迎えました。毎年クリスマスの時期に 演奏会をしているのでちょうど10回目の演奏会を迎えることにもなりま した。まだ人数の少なかった第一回目の演奏会で助っ人ソロをしてくれた 親友のE氏に同曲のソリストとして10年ぶりに登場してもらったり(彼 は東京から一曲のためだけに駆けつけてくれた)、お忙しい中、信長先生 には「葡萄」のメタファーを読み込んだ曲をプレゼントいただいたり、感 謝しきりでした。演奏会自体も「みやこキッズ」の共演を得てJ.レノン のハッピークリスマスで締めくくるという構想2年のアイデアを実現させ ることが出来て楽しかったです。

団員として後から入団した「淀川混声」とは異なり、「葡萄の樹」は私が 京都にどうしても作りたかった合唱団です。年齢を経るに従って、京都の 水がぴったり合うことが分ってきた私にとっては、この土地が持つ知的で 文化的でゆったりとした感じ、…その空気の中で小さな合唱団の種を撒き、 ゆっくり育てて熟成させていきたいという気持ちがありました。

老舗合唱団の多い京都で新しい合唱団を作ることはなかなかエネルギーが いることですが、11年前の春に、私自ら葡萄の絵柄をアレンジして、団 員募集チラシを作成して、心当たりに一人一人配ったりしたものでした。 「生活の隣に合唱が位置づくような活動」を「クリスマス時期のコンサー トが目標になるような活動」を目指して、20名のメンバーからスタート しましたが、結婚や転勤でメンバーが抜けたり変ったりしていくにも関わ らず、新しいメンバーも得て、コンサートホールで新作を演奏出来る合唱 団に成長してきたことは嬉しいことです。

毎年クリスマスの時期に演奏会をするのは、クリスマス時期が「想像力」 を必要とする時期だと私が考えているからです。私たちは少しでも良い 音楽が出来るに越したことはありませんし、そのための努力を怠るべき ではありません。しかし、大事なことは、最終的に賞に帰結したり自己 完結する能力を身につけることではなく、私たちが世界中の困難や悲し みに苦しみに対して「歌や合唱に出来ることがある」と信じることでは ないかと思うのです。大事なことは、音楽を通して願うこと、祈ること、 隣の人や客席と気持ちを合わせること、この場にいない人を思い出すこと、 思いを馳せること、想像力を働かせること・・・ではないでしょうか。客席 に近く、客席を巻き込んでいくような手作り演奏スタイルというものも、 音楽がコミュニケーションの手段であることを忘れたくないからです。 世界中の歌にチャレンジするのも、世界中にいろんな文化やいろんな音 楽やいろんな生活があるということ(…つまり自分以外の人がいろんな 意味と事情を抱えて存在するということ)を忘れたくないからです。

(コンクールそのものを否定しませんが、)自分で種を撒きゆっくり育 てていくことを意図しているこの合唱団では、コンクールに出ないこと によって、音楽の目的や音楽の役割を明確に意識していきたいとも思って おりました。なかなか技術的には上等な合唱団には成長していかないのが 難点ではありますが、人や音楽に対して謙虚に向き合い、クリスマスの灯 りのような温かい演奏会が開催出来る合唱団でいたいと思っています。

・・・そう言えば、大江健三郎氏に「葡萄の樹」というネーミングを本当に 褒めていただいたことを思い出します。(同志社大学で講演依頼をして、 京都駅に迎えに行き、一日かばん持ちをしていたことがあるのです)ち なみに、大江先生は同志社横の御所の樹木を見ながら「僕は樹が好きで、 いつもずっと見ているんだけど、刻一刻と変っていく表情を見ていると 癒されるし、落ち着くんだよねえ」と言われておりました。ちょうどN HKコンクールの課題曲の詩を作られた頃で、私が合唱団の話をすると、 「葡萄の樹、、葡萄の樹かあ、、それは良いなあ、、」とおっしゃった 表情が思い出されます。ついでに、「合唱の人は、人の声を聞くでしょ う?、、だからいいよね、合唱の人を尊敬しているんですよ。。葡萄の 樹、ぜひ頑張ってくださいねえ、、」とおっしゃったことがありますが、 核心をつく言葉に唸りました。社会における大きな声だけでなく、小さ な声や弱い人のつぶやきやささやきにも耳を傾けられる、それを心を開 いて受け入れられる人、・・・ということをおっしゃりたいのだと理解し たのです。

「葡萄の樹」は聖書の言葉、(ちなみにVineは母校同志社カレッジ ソングにも登場する私にとって大切で親しい言葉)ではありますが、広 く大きな意味で、葡萄の樹の枝が蔓のように延び、世界中の人々と繋が っているということを意味していることに共感を持っています。
かつて「葡萄の樹」で歌っていたというメンバーが全国に散らばってい ます。もちろんずっと仲間として一緒に歌っていければ良いのですが、 いろんな事情でかなわない人も多く、それでもどこかで元気にしてくれて いること、別の合唱団であっても歌ってくれていること、また戻ってきて くれたり、時々再会出来たりすることもあること、そんなことを想像しな がら活動していきたいと思っています。「葡萄の樹」の活動を通して…、 そこでの歌や音楽を通して、いろんな仲間が繋がっていることを確認して いければ幸せなことだと思っています。

P.s

「葡萄に種のあるように、私の胸にも悲しみがある
青い葡萄が酒になるように、私の胸の悲しみよ喜びになれ」

という高見順の詩があります。父の書斎にこの詩が飾ってあり、意味を 考えることなく幼い頃からインプットされていた詩の一つです。私にと って葡萄とは、苦味、渋み、痛みや悲しみを含み、…全てを曝け出すの ではなく、気品を保ったまま、癒しや逃避的な酔いを誘発する香りを醸 成をしていくメタファーとして、私の音楽観や美学と一致するものでも あるのです。

…まだまだ10歳。センシティブで上品だけどひ弱な印象も拭えません。 ここからの多感な10年間で様々な音楽的経験を摘み、たくましく成人 式を迎えられるように、精一杯の努力をしていきたいと思っています。


葡萄10周年のパンフより、抜粋

…メリークリスマス。皆様の今年はどんな年だったでしょうか?
私たちが毎年この時期に演奏会を開くのはクリスマスのシーズンが本来 的に「想像力」に満ちたシーズンであると思うからです。1年の終わりに、 自分たちの過去や未来についてだけではなく、他者や世界中の人々につい て、そこで起こっている事態や現象について、そこに満ちている願いや思 いについて、・・・あらゆる不幸や幸福に対して思いを抱き、思いを馳せるこ と、共振し分かち合うこと、・・・クリスマスとはまさに、落ち着いて想像力 を働かせるシーズンではないかと思うのです。もちろん、大きな事態につ いては、ついつい「何も出来ない」と思ってしまう無力な私たちですが、 思いやること、想像すること、音楽を通して祈ったり感謝したりすること こそが、音楽を愛する私たちの音楽に対する大切な向き合い方であるよう に思います。

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