畷ジュニアハーモニーフェアウェルコンサート

2007.4.3

「雪の窓辺で」と「I will sing with the Spirit」をアンコールに歌って 畷ジュニアハーモニーは卒業解散となりました。もちろん、これで子供たちと歌との関係が終わったということでは決してなく、それぞれの進路の中で新しい歌との出会いを見つけてくれることと思いますし、またどこかで再会する予定のメンバーもたくさんおります。あくまでも「畷ジュニアハーモニ ー」という名前を使っての…このメンバーでの活動はこれでお仕舞いということなのでした。
思い返せば、創立者の南川八重先生の転居に伴い、そもそも解散予定であった畷ジュニアハーモニーの指導を引き受けてから5年が経過しています。当時小学生だった子供らの歌う場所がなくなるのが残念であったことから、以前より親交があって、南川先生の指導の方向性(ハンドサイン、コダーイメソ ッド)に共感していた私が引き受けたのですが、京田辺に勤務していたのが (京田辺から四条畷の移動が便利)、思いがけなく京都市内の勤務に変わったことも活動が難しくなった原因の一つでした。また、南川先生が学校教員を退職されたときの教え子メンバーが中心ですから、新しいメンバーがなかなか入らず、保護者の方々と頑張った団員募集が思うような成果を上げられ なかったことが解散への決定的な要因となりました。…当時の小学生たちが高校生になり、引継ぎ直後に加わってくれたメンバーが中学生になるという今回のタイミングでフェアウェルコンサートとなった訳です。3月31日の花曇の日に、支えていただいた多くの人への感謝の気持ちを込めて最後の歌声を響かせました。

私自身はこの5年で計り知れない膨大なことと、重要なことを学んだような気がします。大人の合唱団の指導スキルでは到底及ばない指導の難しさを実感し、自分の中の可能性を懸命に拡大しようと努力してきました。外から見る児童合唱団の芸術性や美しさに隠れた児童合唱団特有の困難さと社会的側面を痛感しました。そして、それらのことは、逆に「児童合唱団」の重要性を私にさらに認識させることにも繋がっていったのです。

「畷ジュニアハーモニー」の指導をしていて私の最大のもどかしさは、この メンバーと同じ土地の空気を吸っていないということでした。客演指導者と して歌唱スキルだけを与えるという立場であれば良かったのでしょうが、児童合唱の担う社会的側面<自分たちが見聞きした歌や思い出を子供たちに引き継いでいくということ>が伴わなければ思い描くような児童合唱団の主宰は出来ないなあ…、と言うのが本音でした。私が生活する京都で、しかも地域教育の表象である「みやこ土曜塾」の形態をとって児童合唱団を立ち上げたのはそのような思いからでもありました。音楽エリートを育てるのではなく、また指導者が児童合唱団を囲い込むのではなく、地域で子供を育てていく一環として歌を教えること…が私の一つの目標となった訳です。(別記: みやこ・キッズ・ハーモニー)

しかしながら、引き継ぎ早々に遠征した上海の音楽祭のことは一生の思い出です。和歌山児童合唱団(沼丸先生)の合宿を見学に行ったり、生駒山頂で楽しい夏合宿を行なったりしたことも大切な思い出ですし、20分の練習のために2時間かけて駆けつけたことも何度もありました。一生懸命やったつもりでも、まだまだ私の努力が足りなかったか知恵と工夫が足りなかったと考えております。目を閉じればメンバー一人一人の顔と歌声とが蘇ってきま す。「畷ジュニア」のみんなが歌を一生の友達にして、歌によって励まされ、 歌によって慰められ、歌によって新たな仲間との出会いを見つけてくれることを心から願っています。「歌は友達」…これが卒業の合言葉となりました。 私自身も大切に胸にしまいたいと思っています。