藤沢にて

2007.6.30

先日、藤沢市民会館で行なわれた「湘南白百合学園」の校内合唱コンクールの審査員に呼ばれました。もともと学校教育の場面で合唱がどのように教えられ歌われているのかということに興味はあったのですが、今回の場合は白百合学園の音楽の先生が学生時代にお世話になったピアニストでもあり、その先生から呼んでいただいたことや、藤沢市民会館が私の師匠である福永陽一郎ゆかりの場所でもあったことから、何だか「吸い寄せられるように」してはるばる出向いて行ったのでした。朝から横浜近辺の電車の事故であわててしまいましたが、汗だくになってたどり着いた藤沢の駅と藤沢市民会館には20年前の面影というか、懐かしい空気が漂い、ふと思い出されるいくつかの記憶に包まれてしまいました。

藤沢市の福永先生宅にお邪魔し、選曲の相談のためにさんざん楽譜を見せてもらった帰り際に「君はマーラーをやったら」と言われたこと…、いったん「いやあ、そんなの無理ですよ」と言いながら去り、藤沢駅の券売機を前に「いや !チャンスだ、絶対マーラーをやらねば!」と決意した瞬間…の記憶とか、藤 沢市民会館で福永先生の指揮する「皇帝円舞曲」の三拍子があまりにも素晴らしくって、思わず2階席から立ち上がって先生の指揮を覗き込んだこととか・・・、 そんな思い出があります。 レリーフ福永先生亡き後に、数日間福永先生宅に泊まり込んで楽譜の整理をしたこともありましたし、その帰りには同志社グリーの後輩を連れて、同じく藤沢におられたピアニストに会いに行ったものでした。(山下公園を案内してもらいましたっけ・・・)今回は、私が行くというので、わざわざ福永先生の奥様までが顔を見せに来てくださり、藤沢市民会館ホールのエントランスに飾ってある福永先生のレリーフを案内してくださいましたが、「藤沢」の土地がとても懐かしい思い出を呼び覚ましてくれたように思います。

さて、コンクールは中学・高校に分かれ、学年の垣根を取っ払ったクラス対抗でした。「中高のコンクール」というと教師が足を引っ張っているとしか思えないような団体が続出するようなものもありますが、今回の校内合唱コンクールは少し選曲に偏りがあったと感じたものの音楽と素直に向き合った楽しいも のでした。音楽の時間に適切なことがアドバイスされていると思われ、全てが生徒の指揮・伴奏であるにも関わらず、取り組みの「一生懸命さ」と「音楽に向き合う感じ」が上手く結びついているように思いました。こういう時にアドバイスしたくなるのは「生徒(歌い手)はもっと客席を意識しよう」「ホール を鳴らすために工夫しよう」「選曲のバリエーションを豊かに」「言葉を明瞭に」というようなことではありましたが、とても楽しく気持ちよく見せてもら いました。「中学生は憧れをもって高校生の演奏を聞く」という中高一貫の良さも出ており、一つ一つの演奏が彼女たちの中高時代の最良の思い出の一つに なればなあと思いました。

終了後、今度はラッシュに巻き込まれながら移動することになりましたが、 新横浜で少しゆっくりする時間がありました。刻一刻と姿を変える夕闇の迫る 風景とベイブリッジを遠くに見渡しながら、さらにいくつかの記憶が蘇ってき ました。幼い頃に、横浜で手術をして入院していた兄と(付き添いの)母に 会いに、父親と二人で新横浜まで行ったことがありました。そして久しぶりに 再会した家族で「マリンタワー」にのぼったように思います。その時兄は「入院 生活」の話をしてくれましたが、美食家の院長先生の手料理が時々あったりもし たようで、自慢げに話す兄のことが随分羨ましく感じられ「自分も入院したい」 と思ったものでした。父親の忘れ物を必死で食い止めた(しかし自分が忘れ物を した→「父のこと」)のもこの道中の新幹線であったと思います。

結局、長い長い一日となりましたが、横浜~藤沢~横浜のこの日は、懐かしい時間と向き合えた一日にもなりました。最後には再び記憶が学生時代に戻り 「そう言えばよく福永先生は崎陽軒のシューマイをお土産に持ってきてくれたなあ・・・」と思い出しながら、新幹線に乗り込みました。

それから、車窓を見送りながら、ふと「藤沢市民会館で『なにわコラリアーズ』 の演奏会をせねば・・・」という気持ちが沸き起こってきました。
あの響かないホールの感じが福永先生のような天邪鬼な感性を目覚めさせ意欲を掻き立ててくれたのでしょうか。

きっと、いつか必ず実現するでしょう。
そんな気がします。