桃の花、花灯路
2007.3.23
梅の花はまだ寒さの中に蕾を膨らませ、春の到来に先駆けて見るものを力強く 励ましてくれるような気がしていますが、桃の花というのは霞がかかった 夢のような春の優雅さを感じさせてくれます。私は男兄弟でもあり「ひな 祭」とは無縁に育ちましたので(父の仕事の関係で3月3日は「耳の日」 と刷り込まれていた)大人になるまで梅も桃も区別がつかなかったように も思います。
現在は、京都御所の側に住んでいますので、梅と桜のあいだの季節にはよ く私の自宅の近所(裏庭?)でもある御所の桃林に出向きます。桜の季節 ほどには知られていないので、人ごみにうんざりすることもなく、桃の花 や蕾の愛らしさと桃の木の立ち並ぶ優雅な風景にうっとりすることにして います。
さて、この季節に近年始まった催しですが、東山の花灯路(祇園から高台 寺の路地に灯篭を灯して夜の東山の町並みをライトアップ)というイベン トがあります。その特設舞台において「みやこ・キッズ」で京都のわらべ うたと季節の歌を歌わせてもらいました。夜なので少し(かなり)寒かった のですが、子供というのは登場するだけで拍手をいただけるので嬉しいで すね。ましてや一生懸命歌う姿には道行く観光客が足を止めてくださいま した。合唱ということで聞きに来る人ではなく、いろんなお客様に子供た ちの歌声を聞いてもらいたいと思っていましたから、今回の出演は子供た ちともども良い思い出になりました。帰りには何人かの子供らとぶらぶら と花灯路を眺めながら四条京阪まで戻りましたが、途中で甘酒を飲んだり、 京都らしいお店を覗いたり、独特の妖しい雰囲気を持つ春の宵を味わうこ とが出来ました。(お陰で某合唱団の練習には大幅に遅れる)。
fukinotouそれにしても、私自身子供の頃は当たり前過ぎる「季節」というものに関してはかなり無頓着でもありましたが、今の時代「季節」を五感で感じる ことは何にも優先して大事なのではないかなあと思っています。「食べ物」 や「行事」や「歌」や「遊び」の中から季節感が失われてきた現代ですが、 考えてみればこれらは全て子供の生活そのものであります。そして、現代っ子と呼ばれた私たちの子供の頃ですら、思い出は何らかの形で必ず「季節」 と結びついているように思いますし、「季節」を強烈に体感していくことこそが、子供の五感を育て感受性を養うような気がします。生活が贅沢になる ことと、生の季節を感じさせることとをどのように両立させていくかということは大きな問題であり、課題でもあるのでしょうが、季節を生活の中で丁 寧に感じていくことは実は社会の役割でもあり、大切な使命なのかもしれません。
春を感じさせる自然の音や匂い、夏の日差しを待ち焦がれる気持ちや開放感、 色づいていく秋の景色や食べ物やお祭り、工夫を凝らした冬の遊び…、子供 たちに歌を教えていくとき、これらを彷彿とさせる歌を大切にしたいと思っ ています。仮に現代的な生活とはかけ離れた歌の内容であったとしても、最 近小学校でよく聞かれる「食育」同様、季節の歌を通して、親世代の子供時 代を語り合ったり、我々の経験を子供たちの想像力の中で共有していくこと も必要なのではないでしょうか。
「春の宵に…、ちょっと寒かったけど、東山の花灯路の舞台で春の歌を歌った…、帰りには甘酒を飲ませてもらって温まったなあ…」
みやこ・キッズの子供たちの思い出にこのような1ページが加われば嬉しい ことです。
P.s
「そうそう、甘酒といっても僕の子供の頃の甘酒はこんなに甘い感じじゃな かったと思う…」似たような話を自分の親からも聞かされたなあ…、と思い ながら子供たちとしゃべっておりました。
写真: 季節の花300より