いとんとんの夏休み 2
2007.9.20
人に会うたびに「忙しいでしょう?」と言われ、つい「そうですねえ」と答えている私ですが、 時間というのは実際は気持ちのゆとりの問題であったりして、忙しさとストレスというのは必 ずしも結びついていなかったりするように思います。 もっとも、驚くべきことにこの暑さの最中に我が家ではクーラーが大故障しており(バブル期 のマンションで組み込み式であるために、ちゃんと直すとものすごく高くつくので、どうした ものかと思っているうちに夏が終わっていきました・・・)その間、劣悪な環境の中で私が過ごせ たのは、いろんな遠征続きで私が家に帰っていなかった(もしくは深夜に帰っていた)ことに よるものと思われます。(しかしながら、子どもは夏休みの宿題をクーラーの利いた近所の図 書館や快適な建物の中で行なうなど、少しは知恵がついてきたものだと喜んでいます。)
木曾
さて、忙中閑ありなのか、もともと仕事柄「夏」には少しのゆとりがあるのか、先回紹介した 海に続いて、合唱の間隙を縫うようにして(クーラーの壊れた自宅で過ごさないために)密か に木曽に行き、その後上高地にも潜んでいたのでした。
ふと思い出したように行った上高地ですが、実は懐かしの地でもありました。
私は高校時代、ワンダーフォーゲル部に所属しており、毎年の夏は槍ヶ岳を中心とした登山合宿 に行っていました。
避暑地として有名な上高地の「河童橋」は槍ヶ岳への出発点なのですが、高校時代の夏休みの 初め頃、ここに行くたびに、のんびり楽しそうにしている家族連れの賑わいを尻目に見ては、 槍沢を目指して歩き出したものです。(槍ヶ岳の文章については→「グリークラブフ ェアウェルコンサートを迎えて」)
美しい思い出だけではありません。山頂に近い雪渓で雪をカキ氷のようにして食べて体調を崩し たこともありました。(そのままへとへとになって、脱水症状のまま歩き続けたものです)
槍沢 河童橋
私が高校時代にワンダーフォーゲル部に入ったのは、父親によく山登りに連れて行ってもらって いたからでもありましたが、父親の山登りというのは山遊びに近く、登ることの達成感ではなく、 木の芽を摘んだり、鳥を見つけたり、歩きながら歌を歌ったり、詩を読んだり、お説教をする・・・ ということを楽しむたぐいのものでした。
小さな頃から、京都の愛宕山に登ったり、鳥取の大山にはよく連れて行ってもらいましたが、一週 間くらいの縦走で山小屋に泊まったりした経験は高校時代が初めてで、一年生の頃はちょっと不安 になったりもしたものです。
梓川山といえば川です。梓川の清流は冷たく、足をつけても5分と入っていられないほどでした。懐か しい冷たさです。
今年はクーラーが壊れていたおかげで、意識をして「海」と「山」に出掛けたのでした。静けさや 暑さや冷たさや美しさや匂いや光・・・の全てが懐かしい感じでしたし、子ども時代から五感を通して 学んだことが私の感性の全てだとも言えるでしょう。山と川は父親の故郷、海は母親の故郷のもの でした。
私たちはその記憶も含めて受け継ぎ受け渡さないといけない存在であるような気がしました。
夏休み報告その2でした。
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