再び松江にて
2007.3.22
昨年の末に訪問して大好きになった松江(+ピュア)ですが、漠然とした予感よりも再訪の時期は早く、桜がまだ蕾を膨らませた段階で早くも心を躍らせながら足を向けておりました。前回の訪問で一畑電車に乗りながら、「そういえば昔、宍道湖に来たはずだ…、父親との証拠写真でも探そう…」などと思っていたのですが、実家に立ち寄ることもなく、お彼岸の日に再び松江に来ていたのでした。今回もPure blueberry(+プラバ少年少女合唱団)の練習でしたが、子供たち(中には若いお母さんもおられましたが)の顔も結構覚えてしまいました。本当に素敵な声と表情で、少しのアドバイスにもの凄い集中力を発揮しながら食らいついてくる様子には練習をしている私の方が感動してしまいました。そして、私には非常に珍しいことに練習時間の最後までを使い切らない段階で、もう充分だ(完璧というものはないはずですが、練習の中身の充実度とでも言うのでしょうか)と思い、やや早めに切り上げさせてもらったのでした。音楽が絡み付いてくる感じというか、顔や声と自分の感性がフィットする感じというのは、なかなか上手く表現出来ませんが、本当に気持ちが良く、明日も明後日もこのままずっとこの地で音楽を していたい…?とも思わせるものでした。もちろんきっと、普段の練習はこんなに上手くいくはずもなく、いろんな苦労や努力があってのことだと思い ます。また遠方より来る私の練習に向けて丁寧な準備をしていただいていたのでしょう…。とても有難く嬉しいことでした。
ちなみにこの2日間の滞在中、閉館間近の「ルイス・ティファニー美術館」 に立ち寄った他は、2日とも宍道湖沿いの「珈琲館」でただひたすらに湖面を見ながら1時間以上の時間を過ごしていたのでした。この緩みきった時間は、学生時代のヨーロッパ演奏旅行でスイスのインターラーケンの自由時間に湖水のほとりの喫茶店に友人と恐る恐る入って、そのまま自由時間の全てを使い切った時以来であるような気がしていました。
sinji-lake2沈む夕日の時間帯には刻一刻と湖面が色を変えていきます。曇天の朝には空と水との区別がつかないような曖昧とした風景が広がります…。宍道湖は時間帯や日差しによって雰囲気が変わり、ぼんやりしながらも飽きない時間を提供してくれるように思います。生活に近い場所にあることや、海水が混ざって生命の雰囲気が漂うことがそうさせているのでしょうか?想像力を掻きたてる神秘性と共に、近所の神社やお地蔵さんが持っているような親しみが 同居しているようにも思いました。
次は花火の季節に、暗い湖面に広がる模様を眺めることを想像しております。
P.s
というようなことを口にしていると、松江の旧友のS君からは「そんなに好きなのなら・・・」と「宍道湖ガイドブック」をプレゼントされました。さらに、 松江訪問の縁で私の学生時代の後輩H君(松江出身、浜松在住)と連絡が取れ、 5月に17、8年ぶりの再会を京都で果たせそうで喜んでおります。