わたしを離さないで(カズオイシグロ)を読む18−01 2018.1.14
1年に300本もの映画を見ていた時代と見る時間を創出出来てない現在…、1年に300冊ほどの本を読み文学に耽っていた時代と読むことの出来ない現在…、FMから流れてくる
あらゆるクラシック音楽を無造作に聞いていた時代と腰痛を抱えながら生活のために忙殺されている現在、…ときどき溜息をつきながら出てくる「忙しい」という言い訳では
なく、芸術的な要素を「インプット」をしないと息苦しくなってしまうときがあります。もちろん誰しもが徐々に時間がなくなる生活そしていく訳ですが、様々なジャンルに漂
いながら自分の表現方法を模索していた私は、合唱活動についての発見が遅かった分、その遅れを取り返すべく「意地になりながら」合唱活動を続けているというのが現状な
のでしょうか?
例によって前置きが長くなりました。
寝る間を惜しむ(寝てますが)ということが自分の中でなされたのは「ザ・ロンググッドバイ」の新訳を読んで以来でした。某所に初詣に向かう電車の道中に読み始めてから、お酒を飲んで倒れ伏し、再び目覚めた深夜から夜明け近い時間帯に至るまで、一気に読み進めてしまいました。
この小説を読んでいる時間というのは、感動という言葉では到底説明出来ない「心の澱のようなものが深く残る」時間でした。出色のタイトル「わたしを離さないで」が、カノンのバリエ
ーションのように幾重にも響き渡ってきます。少女時代の主人公は、同名曲「わたしを離さないで」を聞きながら小さく歌い踊りますが、その歌の中に「得ることが出来ないはずの子が産まれた喜
びへの想像と、そうやって得た愛しい子がやはり自分の手を離してしまう予感」とを同時に感じていました。それを遠目に見た大人は、彼女の行動そのものに運命から逃れたい彼女の潜在的な
懇願を読み取りました。そして、彼女の親友は亡くなる前に自分たちの今の状態について「流れの早い川の中でいずれは離れていく手を必死に繋いでいる状態だ」と伝えます。交わったり交わ
らなかったりする視線と通底する救いのない悲しみは、この作品のSF的なストーリーの特殊状況(ラボのような)云々や、テクノロジーと倫理の相剋…というありきたりの図式ではなく、私たち
誰しもが背負っている普遍的な宿命と運命をイメージさせてくれました。そして、その限られた世界の中でも、健気に心を尽くしながら想像をしたり、他人との感情の交換やすれ違いを生き
ている主人公たちに、私たちは私たち自身の心の在り方や、気持ちの尽くし方、私達自身の思い出を重ね合わせ、思いを馳せることになるのでした。 |
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