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 「夢にコダマする〜あるボスザルの物語」を演奏する

15−1 2015.2.21

私自身が合唱部より先に入ったクラブは例えば小学校時代の演劇部 でもあったわけですが、(→唯一発表した舞台で全校生徒の前で主 役を演じる=未来の七夕)具体的には「演じたい」ということ以前 に、「言葉を発する」というところに自分自身の長所があると感じ ていたふしがあります。
例えば国語の時間で唯一自信があったのは教科書の長文を順番に読ん でいくときでした。たどたどしく読む級友が多い中、必ずすらすら と読めましたし、その落ち着いた読み方と言語の抑揚について必ず 褒められましたので自信がついたのでしょう。
恐らくそこに至る刷り込みの過程には父親の存在があったことは間 違いありません。何しろ私は父親の吹き込んだ昔話の録音テープを 聴きながら毎日寝ていましたから。ついでに言うと、何度も書いて いますが、私はその父親からお風呂の中で、斎藤茂吉や石川啄木の 短歌、島崎藤村や佐藤春夫の詩を反復暗唱させられ、それが嫌で一 緒に風呂に入らなくなった兄とは違って、それなりにそれを(親孝 行と思って)楽しんでいたのでした。

さて、10年ほど前に地域参加型の多世代融合合唱劇に取り組む (→「感動!合唱劇「どんぐりと山猫」) ことで、自分の中に眠っていた何かに気付き始めていた私は、その後、 ひょんなきっかけから詩を書いてみたら以外とストレスを発散するよ うに言葉が出てくるということに気付き、とめどもなく歌詞を書いて いるうちに、だんだん形になるようなならないような、ぎりぎりの 物語ふう詩物語的なものを志向していることに気付きます。
現在まだ、発表されいてないのですが( コーラスめっせ2015を聞きにきてください)、千原先生に 依頼された「美しき水車小屋の娘」は超訳するうちに、いつの間に かナレーションで物語を進めていくふうに構成しています。また昨 年の葡萄の樹の「アポロン」に際しては、どうしても演出をつけて しまいたくなって、いくつかの「オリジナル詩の朗読」を挿入する とともに合唱劇でお世話になった二口さん広田さんにお願いをして、 ファンタジックな舞台にしていただきました。

で、それから間もない名古屋大学コールグランツェの舞台となるわ けです。
グランツェの委嘱は高嶋みどり先生でしたが、ちょうと「私は空に 手を触れる」を作っていただいた直後の依頼ということもありまして、 高嶋先生からは私に「何か今度は動物的な、血が騒ぐような雰囲気の 違うものをやりたい」というふうに言われておりました。そして、数 日後にいただいたメールには高崎山のボスザルの死を伝える新聞記事 が添付されてきました。さらにその数日後、その報道されるボスザル の一生から高嶋みどり先生が想像された物語がメモ的なメッセージと して送られてきたのです。
実はそれを見て私は昨年の早い段階でナレーションと詩とコロス(ギ リシャ劇で言うところの)的なもの(精霊の声)で構成されたテキス トを書いています。どちらかというと高嶋先生に触発され、そのプロ ット案に導かれてわりとすらすらと擬人化した哲学的な詩や簡易な物 語のようなものが出てきたわけです。
簡単に言うとこれは、ボスザルというものに託した、「孤独」と「挫折」 と「目覚め」と「悟り」とも言える物語でしょうか。(栄光と言いたい ところですが、栄光のところに詩がないところが私の才能の決定的な欠 損です。)しかしながら、拙作から高嶋先生の力によって本当にとんで もなく素晴らしい曲が出来ました。全ての曲が揃ったのが年末ですが、 曲が素晴らしすぎるので、急遽またまた二口さん広田さんに手伝っても らい演出を付けることとしました。学生たちにはクリスマスも年末年始 も練習漬けにさせてしまいましたが、60分もの大曲を見事に暗譜した だけでなく、二口さんのご指導のもと生き生きと躍動を持って振りつけ たり、見事に演技を付けたりして生き生き歌ってくれました。
リハーサルの段階から、ボスザルが星空を見上なげがら「自分の前世は 天文学者だったかもしれない」と歌う終盤の曲(→昔から星を)で、 曲が本当に素晴らしいだけでなく、音程を崩しそうになりながら(笑) も頑張って歌っているメンバーの姿に打たれ、私は、天体望遠鏡を買う ためにお年玉を貯めていた私自身の小学時代を思い出して涙しそうにな る勢いでした。
私の一生の財産になる素晴らしいステージでした。

私は、もとより文学青年でしたから、もちろん小説的なものを書いてみ たいと思うこともあったわけですが、自分にはよくよく文才とストーリ ーの構築力と粘り強く長いものと向き合う精神力がないと思っていました。 (つまり、小説を書くためのスキルが全てないということですね)中でも 最もダメなのがストーリーの構築力だったので、美しく入り組んだ構成を 作ることが苦手なのはよくよくわかっています。才能の欠損に加えて、盤 石で完璧に閉じられた(完結した)ものに不安を感じる心理があるらしく、 ポエティックなものやファンタジックなもの、やや不完全ながらも独特の 味わいを持つような行為や状況(論理性からはみ出て字余りとか字足らず が許容される世界ですかね)にある種の居場所を発見してしまうようです。 私は私のかばんのポケットのチャックを常にどこか開けていることとの潜 在意識的な繋がりを感じております(だらしないことの言い訳とも言いますが)。
今回のテキストもテキストとしてだけ見るとどうしても脆弱な部分がある のがわかっているのですが、高嶋みどり先生の音楽の普遍的な説得力や緊 張感が素晴らしく、ある種の合唱物語というか、合唱ミュージカルという か、新しいジャンルに素敵な曲が誕生したと思っています。私のようなも のがこの作品の一端に参画出来ているとしたら、むしろ感謝するしかない という気持ちです。

私たちの演奏をきっかけにたくさんの合唱団によって歌っていただけると ありがたいです。合唱曲としての難易度は少ないですから、きっと高校生 の合唱部の発表会なんかにはぴったりだと思います。また私自身がどうや らこうやって「合唱劇」とかそういったごちゃごちゃした表現形態の方向 にシフトしていっていることが垣間見えてきていますから、次なるチャレ ンジの場面を想像するのが楽しみで仕方あません。

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