現代の書を見る18−09 2018.12.291989年の11月に私たち3人はテレビにくぎ付けになっていました。ちょうどベルリンの壁が崩壊したニュースが繰り返し放映された日のことです。確かに国際政治学者はすでに予見していましたが、幼い頃から、西ドイツ、東ドイツという国名が当たり前であり、分断の象徴としての壁が消えることは、ある意味の衝撃と驚きを生み、大きな時代の変わり目が来たと感じたものでした。
私たちというのは大学のゼミの友だちで、3人で同人誌を作っていました。 同人誌は「耳」というタイトルでしたが、Kのアイデアにより私の大好きなジャン・コクトーの詩からとったものです。そしてそのタイトル「耳」の字を表紙に書いたのはもちろんKでした。同人誌は3号を出したところで廃刊となってしまいました。その間私は就職し(その後やや音楽シフトな人生が訪れるわけですが)、私の調達した講義ノートのおかげで、社会性の乏しいあとの二人は私から少し遅れて卒業することが出来ました。作家志望のUは作家の道には進みませんでしたが茶道関係の仕事に就きクオリティの高い書籍や図録の編纂に携わっています。書家志望のKは計画通りに中国に渡って数年間の研鑽を積み、三重に戻った後、たくさんの賞を獲り立派な書家となって活躍しています。私たちは「耳」の廃刊以来、3人で会ったことはありませんし、お互いの仕事ぶりについては風のうわさ程度にしか確認していません。でも、何故か強い結びつきを感じたまま生きております。むしろ、頻繁に会うことのもったいなさとでも言うのか、離れているからこそ生じる絆とその想像力のようなものを大切にしているのだと言えるのかもしれません。
さて、久しぶりにKから電話があり、東京都美術館で現代の書家を特集した展覧会があるので見に来てくれということでした。調べてみると、6人の作家の中にKも含まれておりました。ここぞというときには行くぞ、と互いに言っていたので、瞬間に決意をし11月の末にわざわざ東京へと出向いたのでした。ムンク展とフェルメール展に挟まれての書展は、私には十分に刺激的なものでしたし、素晴しかったです。それまでにもいくつかの作品は見せてもらっていたのですが、ビデオで紹介されていた製作中のKの姿を見たときに、にわかに、原谷の下宿で、他愛もないことを語りながら眠ってしまった後、目覚めると朝日を浴びながら集中した態度で「墨を磨っていた」Kの姿を思い出したのでした。 いつか私の詩作を彼の書で書いてくれることを夢見ています。書家に対して、詩人と言えるような詩がかけたらという時ですが。
P.s |
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