Keishi Ito Homepage 〜目をひらく 耳をすます つぶやく〜 

 バルセロナ遠征メモワール

17−04 2018.1.14

1)
すでに京都とソウルの2大会を経験している「世界合唱シンポジウム」に3度目の参加をしようと 思い立ったのは、開催地がバルセロナであったためでもあります。一度行ってみたい場所だったの と、ヨーロッパ開催とアジア開催では異なる様相があるのではないかと思ったからなのでした。 「世界合唱シンポジウム」は基本的にはプロフェッショナルの合唱団も含めて集まる大会でもあり ますので、例えば京都大会のあとのコペンハーゲン、ブエノスアイレスでは、日本からの招聘団体 は皆無です。ソウルでは大人の一般団体としては「なにわコラリアーズ」と「ハルモニアアンサン ブル」今回は、「アンサンブルVINE」が選出されただけですので(児童では、前回池田ジュニア、 今回は多治見少年少女が選出されています)、相当な倍率をかいくぐっており、随分ラッキーな状 況でもありました。でも、世界的な実績も実力もないVINEが選出された鍵は、プロポーザル(申請 書=選ばれた場合にこんな大小のプログラムを作ることが出来るという企画案を提出する)にあった ようにも想像しています。
今回の「世界合唱シンポジウム」のテーマは「平和の色彩」でした。日本からの参加ということで、 私は日本の特徴を備えた平和の色彩について4つの観点から選曲を検討しました。

1.寛容性からくる宗教の融合的作品群
2.第2次世界大戦での戦争当事国としての反省からくる作品群
3.現代の詩人のテキストで日常の平穏を願った作品群
4.南北に長い土地に多様に生まれた民謡作品

プロポーザルには解説は不要なのですが、狙いを含めて解説を加えたことが奏功したような気がして います。(加えて、世界的な合唱の傾向がアクションを伴う合唱シーンがあることだという理解はあ りました。VINEがよくフォーメーションチェンジやワンポイントですがコミカルなアクションを挟ん で演奏することがありましたので、そのような演奏実績もプラスに働いたのかもしれません…)

幸いにして、このバルセロナでの世界合唱シンポジウムへの参加は私にとっても大きな経験をもたらしてくれました。

2) とはいえ…、現地で尺八奏者を調達した追分節考のことが気になっている上に、英語が出来ないにも 関わらずモーニングシングの講師を引き受けてしまったことで、(ここで日本の曲を紹介しないと、 日本から参加した指揮者としての価値がないと考え無理して受けました)いつもの外国遠征と同じよう に少しナーバス+睡眠不足の状態でバルセロナに降り立ったのでした。長時間のフライトでは、緊張の あまり寝付けず、最近見てない映画ばかり見て過ごしておりましたが、バルセロナに降り立ち、最初に 尺八奏者との打ち合わせが済み、当たり前に美味しいパエリアを食べた足でガウディのサグラダ・ファミ リア教会でのコンサートを訪問しました。ガイドのマリアさんの所属するユース合唱団が出場するとい うことでチケットを融通してもらったのですが、特別演奏会では不意打ちのようにカザルスの「Nigra Sum」が始まり、私は言葉を失いました。Nigra Sumは私の師匠である福永陽一郎が気に入っていたレパー トリーでもありました。よく考えるとここはカザルスの祖国カタルーニャです。しかし、まさかサグラダ・ ファミリア教会の2階から200人ものユース合唱団がこの曲を歌うとは思ってもいませんでした。言葉に ならない感動に包まれて、もうこのまま帰っても良いとすら思った次第です。子供の頃から行ってみたいと 思っていたあの未完成の巨大な教会の美しい光の中で、天井から「Nigra Sum」が降り注ぐという情景が夢 でなく現実に目の前で繰り広げられていることに感動を通り越した大きな衝撃を受けたのでした。
(寝酒に飲もうと思っていたレモンビールが没収された程度のショックは一瞬にして吹き飛んでしまいました。)



3) 演奏については、世界のトップクラスの合唱団に囲まれて、本当にいっぱいいっぱいというところでしたが、ともかく急増メンバーもいる中でよく頑張ってくれ、本当に良い経験をさせてもらいました。

【モーニングシング】

これが最初にあったことが出国前の私の心の棘でもありましたが、逆に助かりました。その後、落ち着いて 過ごせたからです。
一方的に暗記した中学英語をしゃべっただけですが、それでも、途中になぜか不規則に笑いが起こっただけで 私は動揺してしまい、段取りを飛ばしてしまいました。慣れている松下耕先生の「とうさかみまさか」を練習 させてもらい、モーニングシング自体があまり集客されていなかったことと、客席の日本人友人のサクラ作戦、 VINEメンバーのモデル歌唱のお蔭でぎりぎりで切り抜けることが出来ました。合計4名の指揮者がリレーしま したが、10分の制限時間を守らない指揮者が多い中、途中の笑いで動揺してしまった私の英語は9分でネタ がつきてしまいそのまま終わった訳ですが、進行係からは拍手で喜ばれました。
これが終わったことにより、落ち着きを取り戻した私はVINEメンバーからおいて行かれるも、道中見つけたS君 を伴い、バルセロナのビーチで優雅なランチ(ビア)にありつけたのでした。

【ワークショップ】

○松下耕先生、桑原晴子先生のワークショップに日本の合唱を歌うということで出演させていただきました。 日本の合唱界の歴史を振り返るとともに、合唱によって日本が震災からの復興応援をしている様子が紹介され、 いくつかの震災復興祈念ソングを歌わせてもらいました。

【メインコンサート】7月27日21時〜Palau de la M?sica Catalana


○今回の世界合唱シンポジウムのテーマは平和の色彩です。日本からの参加ということで、日本の特徴を備えた 平和の色彩について考えてみました。選曲の観点は4つの柱からなっています。

〇まず、1つめは多様な宗教観による平和の希求です。日本では排他的ではなく寛容で大らかな宗教心を持った 民族だといえます。歴史上は弾圧や偏見もありましたが、多くの宗教観を上手く混ぜ是ながら文化を形成してきた 側面があります。現在では音楽的にも多くの宗教のスタイルを混交させたり、融合させて確立した作品が多く見 られます。

・「おらしょ」第2楽章(千原英喜)
〇日本は第2次世界大戦の当事国でもありました。戦争による悲惨な体験と反省とを世界の平和のために生かし ていくべき使命を背負っているとも言えます。戦争と平和を直接的に扱い、かつ現代合唱作品としての普遍性、 芸術性の高い作品を世界に紹介したいと考えました。

・無伴奏混声合唱「廃墟から」第1楽章〜絶え間なく流れていく(原民喜/信長貴富)
(被爆者でもある詩人原民喜の文章の断片から構成されています。ヒロシマに落ちた原爆の悲惨と、現代を生き る者としての平和への願いをサウンドスケープ的な手法を用いながら立体的な音像として表出した日本合唱界の 金字塔的な作品だと考えています。)

〇現代の日本は、(平和、幸福)への願いや自然への感謝が日常生活に息づいており、大げさな主張でなくとも、 美しいささやかな歌が平和を祈る私たちの色彩であるとも言えます。特定の宗教的典礼によらない現代の詩人たち のテキストを用い日本合唱界の独自性が発揮された日常の祈りの音楽を披露したいと考えました。

・夕餉(みなづきみのり/松下耕)

〇日本は南北に長く、寒い地域から温かい地域、山間部から海浜部まで多様な自然を持っているため、それぞれの 特徴を備えた民謡や旋律が多数存在します。日本の合唱文化は集団で声を合わせる(労働歌、祭儀等)ことで一体 感を作り、平和や平穏を希求しながら歌により祈りを捧げてきたとも言えます。ここでは、現代の作曲家たちに合 唱曲として巧みにアレンジされている曲を紹介しました。

・追分節考(柴田南雄)
・南京玉簾(千原英喜)(大道芸付で紹介させてもらいました)
・日向木挽唄(松下耕)
・狩俣ぬくいちゃ(松下耕)

演奏は、お蔭さまで温かい拍手に包まれました。例によって、時間や段取りはスペイン風、日本人にとっては、 いったい何がどうなっているのか?…という感じでしたが、諦めて落ち着いて演奏させてもいました。終演後も ずっと音楽を心から愛する人たちによる温かい拍手に包まれ幸福でした。世界文化遺産にも指定されているこの 舞台に立てたことそのものが奇跡的でもありました。

※マンティヤルビさんを見つけたので、恐る恐る近寄り挨拶をすると「もちろん、知っている」と言って握手し てくれました。社交的でない私ですが、京都大会のときに、「自分がいかにマンティヤルビの曲が好きか、演奏 もしている」ということをアピールして「なにコラ」のCDを差し上げていたのでした。

【タウンコンサート】7/28 21時〜Caixa Forum, Auditorium 

翌日は、メンバーと共にサグラダ・ファミリア教会とミロ美術館を観光しました(もちろんランチビール)が、本 当に感動的でした。子どもの頃には、自分の生きている間には絶対に完成しないと思っていたサグラダ・ファミリア 教会ですが、テクノロジーの進歩と寄付金の増加によって完成間近であることが分かりました。朝日から夕日までを 計算したグラデーションになっているステンドグラス、微妙に色と材質の異なる石柱を木に見立て、全体を森のよう に表現した教会内部、様々な彫刻や装飾を含めて感動しました。

  

夜にタウンコンサートを行いましたが、これがまたメインコンサートとは全くことなるリラックスした中での演奏会 となり、思い出に残る時間となりました。そこに日本人は帯同している家族以外誰も居ないという完全ローカルな状 況の中、しかもピアノ付の曲を演奏するにも関わらずピアノがないホールで、焦りながらひとまずのリハーサル開始 となりました。ホールのスタッフは動揺するでもなく、「そうなの?、聞いてなかったなあ、でも、じゃあ取ってく るから」と言う感じで、しばらくしてからどこからともなくピアノが運び込まれて来ておりました。唯一心残りは英 語の解説は準備していたもののカタルーニャ語での通訳を用意していなかったことで、たくさんの解説は半数程度し か理解されなかったのではないかということです。しかしながら本当に熱心に聞いていただき、アンコールをして、 控室に戻ったにも関わらず、拍手が鳴りやまず、戻ってきてさらに演奏をさせてもらうというような状況でした。
非常に印象的だったのは、日本から行った合唱団がフォークロアやエキゾチックな作品で驚かれるということは よくあることだとは思うのですが、私達の演奏した作品の中で最も大きな拍手をもらったのが、「信じる」「ほらね、」 という全く日本的特徴のない普通の日本語による合唱曲であったということです。しかも、英語があまり通じない状 態で、英語の解説をしていますから、この歌がどのような内容であるか、などという先入観のないまま、聞いてもら っているにも関わらず、涙を流しておられる方がたくさんおられたのです。松下耕先生にお話をすると、スペインを 構成する民族の持つ音楽が和声よりもメロディーに関心や気持ちのウェイトがあるからでもあるかもしれない…という 解説をいただきましたが、いずれにしても驚きでした。ただ、私がこの2曲のピアノ付の曲を選曲している時点で、 そのことに関する推測が若干働いていたのも事実です。最近ポーランドやコソボで松下先生とご一緒した経験から、 わざわざエキゾチックなものではなくても正統的な音楽で評価してもらえていること、音楽が伝わること…、を実感 しています。つまり、私達日本人がジョン・ラターの曲を聞いても素直に感動するように、スペインの皆さんが松下 耕の紡ぎ出した旋律や音楽に素直に反応されているということなのでしょう。メンバーには日本語が通じなくても、 日本語にしっかり魂を込めることを繰り返し訴えてきましたが、まさにそのようなこと「気持ちのこもった音楽は国 境を超える」を実体験したわけです。
「まったくお母さんが子どもをあやすように歌っておられた…」とドイツ人に言ってもらえた「ブラームスの子守唄」 についても別の意味で同様でした。

(前説より抜粋…私たちは、日本の中でも伝統あり古い都である京都から約20時間近くをかけてやってきました。 京都を知っていますか?バルセロナ同様伝統のある街で観光地でもあります。美しい街ですのでぜひ一度来てください。
私たちも歴史と伝統と文化があり、美しい芸術にも彩られているバルセロナにくることが出来て一同大変興奮してい ます。食べ物も大変美味しく素晴らしい街だと思っております。
昨日はPalau de la M?sica Catalana で演奏をする機会を得ました。本日は、このホールで新たな観客の前で歌う ことが出来てとても嬉しく思います。)

・ソーラン節(編:清水修)
  ・神舞い(石井歓)
・田の草取り唄(間宮芳生)
・追分節考(柴田南雄)
・真言(千原英喜)
・南京玉簾(千原英喜)
・さくら(編:松下耕)
・狩俣ぬくいちゃ(松下耕)
・子守唄/樫の木のように(ブラームス/信長貴富)
・信じる(松下耕)
・ほらね、(松下耕)

英語が苦手な私でも、学生時代の(ドイツ、スイス、ギリシャ、フランス〜1ヵ月の遠征)を始めとし、ボストン、シンガポール、バンクーバ、上海、ポーランド、台北、ブルガリア/コソボ共和国、ソウル、マレーシア…と、海外の演奏旅行等に行かせてもらってきたことになります。たいていはフォークロアを中心に演奏させてもってきたのですが、今回の世界合唱シンポジウムでは、タウンコンサートの中ではありますが、「信じる」ことから世界の平和が始まる、という気持ちを持ち込みたいと思い、ピアノ付の合唱曲「信じる」をストレートに選曲しました。そして、歌が人と人との心を結ぶものであるということを確認し表現するために「ほらね、」を歌いました。国境や人種やその年代や人の境遇に関係なく、歌は私たちの心を結ぶものであるという「当たり前のことを再確認すること」が出来た旅となりました。

【クロージングコンサート】7/29 21時〜Pablo Casalus,Hall 

こういうフェスティバルの常ですが、「行ってからようやくスケジュールが分かる、はっきりする」ということがあ ります。メインコンサートでは曲を削られ、タウンコンサートでは単独で歌うコンサートであることが判明して急遽 曲を増やしましたが、よく分かっていなかった最終日の演奏というのは、栄えある世界合唱シンポジウムのフィナーレ の一歩手前に位置しており、満員の聴衆の中で演奏させてもらいました。

・おらしょ(千原英喜)
・狩俣ぬくいちゃ(松下耕)

※道端で「VINEの演奏が好きだった」という北欧の女性の合唱指揮者に出会いました。「やわらかい」という評価は (そこだけが取り柄だ)とも思えるので、ありがたいものでした。そして「あなたは男声合唱合唱団を振ってますよね、」 と言われました。いつの間にか世界合唱シンポジウムは3度目の出演となっているわけです。

※「おらしょ」を聞いて、「懐かしい…、歌った歌った」と言っているスペインの合唱人がいることに驚きました。 グローバル時代、我々がハビエル・ブストの曲を歌っているように、日本人作曲家の素晴らしい曲の数々はヨーロッパ でもたくさん歌われているのですね。

4)
バルセロナの街は文化的・芸術的な雰囲気に満ち溢れ、空気を吸うだけでも合唱の源流とも言える土地の中で合唱シン ポジウムの行われることの価値を感じました。演奏会場そのものが教会であったり、会場から外に出ると石畳の道が あり、教会の鐘が聞こえるという意味では、アジア圏で開催される合唱フェスティバルとは全く趣のことなる大会で あったということは言えると思います。
帰国の日には、無理をして朝にタクシーをチャーターしてグエル公園に行きました。数少ない観光の一つでしたが、 満足して帰路につくことが出来ました。

 
 

※滞在中は、毎日昼ビール、夜ワインという豊かな生活をしておりましたが、どうしてか酷い酔い方はしませんでし た。日差しのせいでしょうか。

※ピカソ美術館にも行きました。

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