サッカーに寄せる08−06 2008.6.2サッカーに纏わる最初の記憶は、父と一緒に入っていたお風呂の中で、 父親が若い頃にサッカーをやっていたという話を聞いたことに始ります。 当時の父は野球のルールも知らず(その後知ることになる)、父が居る 時には家のテレビに野球中継が流れることは全くありませんでしたから、 私には父からスポーツの話題が出ることそのものが意外だったのでよく 記憶に残っています。父がどの程度のサッカーをやっていたのかというと、 たかだか知れていると思うのですが、私にとっては何となくみんなが やっている野球よりも、風を切って走るサッカーのほうがカッコいい気 がして、以降毎日、私は家の中でも外でも、1人で小さなボールをドリ ブルする遊びをしていたのでした。 そのあたりのことが酒席の話題にでもなったのでしょうか、父の知り 合いに紹介してもらい、小学校2年のときに近隣の強豪チームである 「紫光クラブ」の見学に行くことになりました。一緒に見学させられ た兄は大変迷惑顔でしたが、私はさっそく遊びの中に混ぜてもらい、 一緒に「シュート、シュート!」と騒ぎながら走り回っていました。 引っ込み思案で、集団活動の中に溶け込み難い少年時代(今も)の 私のエピソードの中ではちょっと考え難い思い出です。そして、自分 でもよく分らないのですが、自分から「絶対サッカーをやりたい」と宣 言し、バスに乗って通わなければならない名門「紫光クラブ」に入団 したのでした。
残念ながら私の人生はその半年以内にあった火傷によって大きく変る
ことになります。(サッカー選手への道が断念される・・・?)2年生の
終わり頃からしばらく運動出来ない状態が続き、加えて休部中に自分
の通っている小学校にサッカーチームが出来たため、紫光クラブを退
部して3年生の初めから宇多野少年サッカー団に入部(移籍?)する
ことになりました。そこでも、最初の頃こそ「紫光仕込み?(半年だ
け経験)」のテクニックで初心者集団の「宇多野」の中では注目され
たものの、すぐにまた腕の手術を繰り返したためにさらに長期間休む
ことになりました。 辛うじて、6年生のレギュラーシーズンにはややモチベーションを回 復して、背番号12番をもらい、試合後半に左ウィング(昔はそういう ポジションがあった)として公式戦で時々途中出場をさせてもらうこと が増えてきました。タイミング良く少年サッカー団は創設4年目での2 部リーグの優勝を飾りましたし、私はその優勝の瞬間を味わってサッカ ー界から引退することになったのでした。(私は生涯2ゴール)
・・・さて、以上が、私が現在最も高い関心を持っていることが6月に開
幕するEURO2008であることの背景物語でした。
P.s |
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