よどこん20回記念演奏会08−13 2008.12.26
今年の9月15日に淀川混声合唱団は第20回の記念演奏会を終えました。 私自身は、幼い頃から歌も音楽も好きで(音楽だけは学校の成績でも5 しか取ったことがない)、エレクトーンに通ったり(これはあまり上達 せず)もしていましたが、本格的な合唱は大学時代から始めたので(高 校時代、一般合唱団へわざわざ単身で第九を歌いにいったことはありま すが)、一般的な混声合唱そのものの経験も乏しく、当初は試行錯誤ば かりでした。当時の同志社グリークラブのように「立派な楽器揃いで、 練習では全員集まっていて当たり前、モチベーション低いものは去れ」 という状態の中で練習をするわけではないので、音楽を作るとか、自分 なりの解釈を通して表現を工夫するとか、そういうこととは別の課題 (人をどうやって集めるか、練習時間をどう作り出すか、時々いない パートもあるのをどうするのか、合宿だけきた人にも何とかオンステ してもらわねば、)という次元での格闘でしたし、私自身の仕事との 折り合いもあり、当初は本当に大阪を遠く感じたものでした。 ・・・淀川混声合唱団の第20回演奏会の後、打ち上げの席では「よどこ んの20回のあゆみ」を振り返るスライドが上映されたりしてました。 もちろん今のメンバーに創設当時からいる人はほとんどいない状態で、 最初の10回のことを知っている人もほんのひと握りなのですが、ス ライドに昔の姿が映ったり、懐かしい話題が披露されると大賑わいで した。千原先生や信長先生も当然のことながら最近の私や最近の淀川 混声のことしかご存知なかったので、その歴史やプロセスでの苦労話 には新鮮な共感をしていただいたようでした。
積もる思いをここで書き綴ってもつまらないものですが、武内さんか
らバトンを受け取った私の「よどこん」への気持ちの切り替えの転機
は、要所要所での森さんの励ましであったように思います。(京都の
西のはずれからは大阪が遠いので、よく前の晩から宝塚の森さんの家
に泊めてもらっていたのです) 創設者や頑張ってきてくれた気持ちに思いを馳せ一念発起した後は、 ともかく「どんな場面でも全力を尽くす(練習参加者が2人だろうが、 3人だろうが、ものすごく下手だろうが、嘆くくらいなら練習する)」 ことが私の役割と言い聞かせてきました。私自身が季節ごとに練習案 内をはがきに印刷して全メンバーに送っていた時期もあります。練習日 の朝に、片っ端からメンバーに「今日は練習来てね」と電話をしていた 時期もあります。コンクールでもしばらくは賞にも入らず、重い気持ち を封印してその翌週を気分転換の遠足に充てていた時期もありました。 「さあ、これから」という時に、中心メンバーが東京転勤になったと いうことは、本当に数え切れないほどありました。 1年1年や1回1回の練習が大変で、20回目を迎える頃なんて全く想 像出来ない・・・、と思っていた訳ですが、要所要所での励ましを受け、 何とか20回まで一生懸命の歩みを続けてくることが出来たのでした。 20回目の演奏会を終え、その都度励ましてくれた仲間や、その時々の 練習風景画が浮かんでは消えていきます。考えてみれば、順調でも平坦 でも何でもなく、いろんな思いとドラマと歴史の刻まれた歳月なのでした。 もっとも、私も「よどこん」も、まだまだ何かを成し遂げた訳でも、高 みに辿り着いたわけでもありません。そのような思い出に浸るのはさら に20年後に置いておくとして、今は一瞬たりとも感慨に浸ることなく、 今より少しでも良い第30回を目指しての一歩目を歩み出したいと思って いるのです。 |
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