なにわコラリアーズ20周年
14−6 2014.12.18
大学時代に熱い男声合唱を経験した者なら誰でも分かってもらえる
ことだと思いますが、どんなに素晴らしい活動だったとしても混声
合唱の活動では何か物足りないものを感じるものです。もちろん
「音域の拡張に伴う曲や表現のバリエーション」を差し引いても…、
「音楽に向き合う真摯さは変わらない」ということは分かっていて
も…、です。
「なにわコラリアーズ」を設立した経緯は単純です。私が同志社グ
リークラブを卒業し、指揮者になることを前提として先輩が指揮し
ていた淀川混声合唱団に入団をしてからまもなく、やはりもう少し
男声合唱をやりたいと思ったからに他なりません。
しかもOBだけで組織されるものではなく、忙しい社会人たちで構
成され、皆が第一線で仕事をしながらも、効率的に知恵と工夫を重
ねて「昔取った杵柄」でない新しい活動がしてみたいと思ったのでした。
創立メンバーは20名。私の同世代の男声合唱経験者や、一度男声
合唱をしてみたかった、というメンバーを寄せ集めての活動開始と
なりました。名称については言うまでもありません。師匠福永陽一
郎の率いていたプロ合唱団「東京コラリアーズ」にあやかって名付
けたものです。
当初の活動は月1回の練習、しかも第1回コンサートは「スピリチュ
アルズ」「宗教曲集」「草野心平の詩から」という「いかにも男声合唱」
というステージから始めて、どのように変化していくかを味わって
みようと思ったのでした。初舞台となった大阪府合唱祭や宝塚ベガ
ホールでの第1回コンサートがとてもなつかしく思い出されます。
コンクールへの挑戦も関西大会賞なしから始まって、銅賞、銀賞、
2回のダメ金を経ての全国大会出場ですので、エリートを集めたも
のではなく、普通の苦労と普通の苦難や試練を乗り越えてチャレンジ
し続けたことが奏功したのだ、ということであり、「頑張って合唱団
を育てた」一つの事例にもなろうかと思います。
苦労ということで言うと、なにしろ私はおそらく合唱史の中でも特筆
すべきスーパーな輝きを見せていた同志社グリークラブで指揮をして
おりましたから、音が取れているのにハモらせるのに苦労するとか、
ホールが鳴らないとか(同志社グリーは「鳴らぬなら鳴らせてみせよ
う」的な合唱団でありました…)、ということがあるなど、到底理解
出来ない人間でした。学生時代の私にとっての音楽的課題は、詩のペ
シミズムとリリシズムをどのような音色で表現するのか、このフレー
ズは敢えてのマルカートを混ぜ、この言葉をレガートで聞かせるとか、
バーンスタインならこう表現しているが、チェリビダッケはこのよう
に切り抜けている、トスカニーニとカラヤンのテンポ設計の相似につ
いてとか、そういったことであり、そのような話題を師匠と語り合っ
たり、教えてもらったりしたものです。周囲には畑中良輔や山田一雄
、小林研一郎や若杉弘という人等がおり、私が扱う問題は一流指揮者
の抱える音楽的課題と同じものであって、和音が乱れただの、和声の
バランスがどうなど、全く気にも留めませんでした。音程なんかは自
分で決めてくれ、指揮者は熱いもの深いものを塊として要求し、挑発
し歌い手と戦うのみ」、というスタンスでしたから、学生の頃、思い
立って聴きに行った「全日本合唱コンクール」ですら感動のない退屈
な行事にしか思えなかったものです。
もちろん、学生時代のような十全な練習は出来ないわけですから、すぐ
にそのような態度は破たんをすることになります。うたい文句はともか
くも社会人の男性は決して十分な状態で練習に来れるわけではありませ
んので、なかなか仕上がらないという状態が続き、練習の効率化とか、
プロセスとか、段取りを考えること、スキルの違うものが集まってき
ますので、がむしゃらに「音を出す」のではなく、「人の声を聞く」
ということにウェイトをかけた練習を模索せざるを得なかった…、と
いうのが「なにコラ」と私の歴史です。
「なにコラ」サウンドに男声合唱としての新しい響きを見つけたのは、
全国大会2度目の挑戦となった札幌でのコンクールでニーステッドの
「Beata nobis」を演奏したときのことです。
練習時間がなく、本来の第一候補であった曲を選曲することが出来ず、
ニーステッドは次善の策だったこともあり、私としては、当時はどう
したら上手くいくのかが分からずに頭を抱えてもおりました。譜面ず
らはすぐに理解出来るのですが、例えばベースが根音を歌わないので、
思ったようなサウンドが上手く作れないということもありました。そ
こで、思い切って本当に1音1音を完全調和させるような徹底した練
習を行ったものです。つまり面倒くさい練習をメンバーが変わっても
毎回毎回儀式のように行っていくわけです。根音と第5音を決め、
その中に3度や倚音を混ぜていくこと…、常に順番は根音から行い、
根音の推移を理解してそこに付属的な音をイメージできるまで徹底し
ました。結果、2度目の全国大会にして初のシード権を獲得し、トー
タルとして10年連続金賞(シード権7回)という驚くような成果に
繋げることが出来たとも思っています。
さて、その「なにわコラリアーズ」がたくさんの試練と苦難を乗り越
えて、20周年を迎えました。
20周年の今年は委嘱作品で固めた東京紀尾井ホールでの記念コンサー
ト(→)、世界合唱シンポジウムへの参加(→)、カワイ出版主催の
オール新作コンサートへの参加(→)、という経験をさせてもらいま
した。多くの励ましと仲間の頑張りによって幸せな体験の出来る一年
であったように思います。
ただ、私は決して満足しているわけではありません。私は先述のよう
に出来るだけ新しいやり方、アマチュアとしてプロセスを重視するも
の等…、つまり要領の良い器用な合唱指揮者を選択してきました。そ
ろそろ原点回帰しなくてはなりません。プロセスの面白さにも目覚め
てしまいましたのでプロセスを放棄するわけではありませんが、私が
望んでいるものは、もっともっと大きなところにあるものであり、高
いところにあるものです。コンクールの実績とかは何か社会的な活動
をするときに少しは役に立ちますが、音楽の質や中身を保障するもの
では全くありません。常に目の前の音楽と真剣に向き合う。古い音楽
でも新しい音楽でも、どんな球が来ても打つ、どんなものが来ても飲
み干す、完食する、が男声合唱の精神です。SNSでああだこうだ評
論し合うような合唱小僧らに電流を走らせて目覚めさせるような、元
気で明るく誇り高い活動に向けてチャレンジしていきたいと思います。
P.S
いろんな感慨はもちろんありましたが、「なにわコラリアーズ」の20
回目の演奏会は今となっては所詮21回目の演奏会の準備に過ぎません。
より本格的な音楽と向き合うことになる21回目の演奏会にぜひ来てく
ださい。「古い音楽や新しい音楽があるのではない、温かい音楽とか凄
い音楽があるだけなんだ」と言わしめるような演奏会としたいと思います。
●なにわコラリアーズ第21回演奏会
日時:2015年5月9日(土)
場所:大阪ザ・シンフォニーホール
曲目:ラプソディー・イン・チカマツ(千原英喜:男声委嘱初演/世界シンポジウム初演)
パンジェリンガ(松下耕:世界シンポジウム初演曲)
水のいのち、(高田三郎)
チャイコフスキー歌曲集(福永陽一郎編曲)
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