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 夕餉

15−2 2015.2.21

混声合唱曲として出版された「うたおり」の松下耕先生のコメントが 何とも素晴らしく、一部紹介させてもらいたいと思います。何の打ち 合わせをしたこともないのに、私が思っていたことが代弁されている だけではなく、私が潜在的に思ってたのに、自分では上手く見つけら れなかった言葉まで並んでいるように思います。

「この組曲の一つひとつのテキストに共通することは『リアリティー』です。 全てが、実話だと思っていただいていい。歌ってくださる皆さんの中にも、 この詩を読んで“ "deja vu(既視感)"を感じる方が多いのでは ないでしょうか」

リアルとは、実際に体験したかどうかということではありません。例え ば小津安二郎の映画を見たときに「懐かしい」と感じる感覚に似ている のかも知れません。「父ありき」という映画を見たときに、私は私の映 画かと思いましたし、フランソワ・トリュフォーの映画を見たときには、 これは私の思いを代弁しているのかと思いました。よく考えると、そん な体験などしたこともないのだけれども、表面的なことではなく、その 時の気持ちがいつかの気持ちに似ているとか、そんなふうに想像したり イメージを持ったりしたことがあるとか、その時の薫りや感触、苦みや 渋みも含めて、「我がことのように感じるということの総称」がリアル とでも言うのでしょうか。

大久保混声とのジョイントコンサートでは、淀川混声の単独ステージで 「うたおり」から4曲を選んで演奏させてもらい、合同では私の詩物語 をテキストに土田先生が作曲された「さびしいお魚の話」を演奏させて もらいました。(指揮は田中先生)
共に歌になることを想定していなかった詩作ですが、音楽という新しい 命を与えられたことを幸福に思います。

この日の早朝のニュースでイスラム国に捉えられた邦人の死を知り、 何とも言えない悲しみと絶望的な気持ちに見舞われました。はからずも 「戦場」→「夕餉」の展開がリアルに胸に響きました。愛する人と小さ な夕餉を囲むこと、ただそれだけのことが持つ意味、夢のように湯気を 眺めることの豊かさ、…自分自身のことだけではなく、取材されようと した様々な国の困難な人たちにそのような場と時間を与えられる社会に したいと思っておられたことを考えると、胸がつぶれそうになります。
現実と幻想の狭間にあるもの、夢と人生の狭間にあるもの。
「夕餉」は好きな歌です。


「夕餉」

あなたがいて
私がいる

向かい合っている
隣り合っている
声がする
音がする
温かい空気がある

灯りがある
湿度がある
ぬくもりがある
季節がある

これを愛というのだろうか
これを憩いというのだろうか
このような場と時間

あなたがいる
わたしがいる
二人がいる

うなずき合っている
ほほえみ合っている

今日の夕餉を前にして
幸福がいま湯気を立てている

何故か分からないのですが、この曲と「ほらね、」という曲は、何か依 頼を受けて作った詩や歌詞ではないのに、「松下耕先生が曲を書かれた ら良いな…、」とぼんやりと思っていたことが本当になった曲です。 ありがたくも不思議なことです。痛みを持つことがやさしさを生み出します。
私たちの生活が音楽と直結していることを実感いたします。

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