山陰 夏のたび
15−7 2015.8.24
コールメイプルという合唱団の野田川(丹後)での夏合宿(普段練習行けないので)
と松江での練習の行き帰りに短い夏休みを過ごしました。
○福知山
福知山は父の出身地であり、「家族がお参りするのが難しかろうが、どうしても
自分のお墓だけは子供の頃に駆け回った野原を見下ろせる父母のそばに」という
遺言(遺言はそれだけ)があったので、その意向を汲み、墓は故郷の福知山にあ
ります。そのせいで、私などは、満足にお墓参りも出来ないのですが、今回、合
宿に行く途上に福知山を通ったので、タクシーを待たせてお線香だけあげにいき
ました。
父らしい趣味の、きれいなお墓です。
百日紅の木が赤い花をさかせていました。
まあ、自分自身も子供時期に過ごした地に近いところが良い(仁和寺かな)って
言うだろうなあ、と思ってしばらく夏の風景を眺めていました。
○天の橋立
橋が上がり下りするのを見ながら大きな岩牡蠣を食べビールを飲んでました。
夏の昼のビール・・・、何という贅沢でしょうか。むかしアンサンブルVINEで親睦合
宿をしたことがあるなあ、と思い出しました。ちなみに、伊東はこのとき、例に
よって季節に一度くらい体調を崩すので体調不良(回復途上なので自己判断で
ビールOK)です。
○合宿
幸いにして、合宿場にマイクがありました。声は虚弱体質の伊東の最大のウィーク
ポイントの一つです。いつだったかのコーラスめっせ、いつだったかの全日本ワー
クショップ、いつだったかのなにコラ演奏会、いつだったかの京都CA合宿、全て体
調不良が声に及ぶので、ほとんど(声の出ない)必死の状態での本番や講習や練習
でした。(「コーラスめっせ」でのラウドを使った指揮者講習会が記憶に新しい)
ちなみに昨年行ったカイロプラティックスでは「首と肩と背骨と腰と膝が悪い!な
んとかしろ、」と言われ、歯医者では「どの歯もぼろぼろだ、手に負えない!」と
言われ、耳鼻咽喉科では「扁桃腺なぜ切らなかったのか」と言われ、眼科では「老
眼と乱視が混ざっているから眼鏡を架け変えろ」と言われています。よくここまで
大病なく生きてこれたものです。
○城崎温泉
兵庫と鳥取の県境の浜坂が母親の実家です。昔は、京都から松江まで行く特急が
山陰線を走っていたように思うのです。そしてその当時城崎温泉は、それほど賑
わいのある温泉街ではなかったように思います。
いつからか城崎が盛り返して、おしゃれな温泉街として賑わいを取り戻し、京都
から頑張って来てもここで特急が途切れるのです。浜坂に行くにも、鳥取に行く
にも、絶対にここで普通に乗り換えねばなりません。
○浜坂
ここで乗り換えです。今回は松江に行くのでいったん駅を出て、足湯に使っていました。
○鳥取
ここでも待ち時間発生。子供の頃、ここの駅で父親と待ち合わせをしたことがありました。
周囲から、何故子供一人に駅で待たせるのか?大丈夫か?と父が非難されていた記憶があ
ります。私は大丈夫と思っていました。40年くらい前の話です。
○松江
いつものようにプラバのピュアブルーベリーの練習。翌日は北高校。みなづきみのり
+相澤直人の曲を練習してくれているので、応援に行きました。高校生の歌唱姿は
元気と勇気をもらえます。
○浜坂〜湯村温泉
で、帰りには浜坂に寄り、お墓参り。湯村温泉へ。生憎の雨でしたが、翌日天候が
回復したので少しだけ東浜へ寄って帰りました。
子供の頃の私の夏は、母の実家の浜坂駅前のうどん屋を居場所に、始発の汽車の賑
わいに起こされ、お祖父さんのうどん作りの手伝いをし、汽車で東浜に通いつめ、
お昼にきつねうどんを食べに戻り、昼寝をし、また海に行き、帰ってきてかき氷を
食べて、夕方にたらいで行水をし、夜にはスイカを食べ、花火をし、日焼けの肌に
眠れない思いをしながら楽しく過ごしていたものです。
山陰の海を見て、久しぶりに浜坂に寄り、そんなことを思い出しました。
P.s
私にとっては夏と言えば山陰の海です。8月の初旬に訪れた浜田〜益田〜萩の海岸線
の海の美しかったこと!!私のガラケーでは収め切れませんでした。
P.s
大文字
夏はこのように終わっていくのですね。
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