ブルガリア(ソフィア)〜 セルビア 〜 コソボ(プリシュティナ)
15−5 2015.6.2
(道程)
そこそこ外国に行っているのに、たいてい人任せでついていくだけの私としては一人でイスタ
ンブールのトランジットを抜けてソフィア空港に至ることすらちょっとした緊張を伴うもので
したが、当たり前に、無事に乗り換えを果たしました。人種のるつぼ、東西を繋ぐ文化や様々
な交易の基幹だなあと思いながら、表示を頼りに間違いなく辿りついたのは、その広いイスタ
ンブール空港の端っこのゲートでした。屈強そうな男たちが椅子にまばらに座っていました。
何度もカイロ行きの乗客が居ないかのアナウンスがなされ、従業員が走り回り、時間を過ぎて
もカイロ行の表示が消えないままでしたが、ずいぶん遅れて表示がソフィアに変わったとき、
「ああアンゲロプロスの映画みたいだ」と思ったものです。何となくです。
今回の関西耕友会+αによるソフィア+コソボの演奏旅行企画については、松下耕先生と沼丸
先生に誘われるまま、楽しかったポーランド演奏旅行のことを思い出して参加をしたのでした。
ただ、業務の関係で一人遅れてソフィアから合流でしたので、ただですら英語力ゼロ、コミュニ
ケーション能力マイナス30の私としては、無事にソフィアのホテルに辿り付いた時、ずいぶ
んほっとしたものです。
(ソフィア)
ソフィアフィルハーモニーの定期演奏会で松下耕先生の「スターバトマーテル(本来は女声
合唱と弦楽5重奏+ソ プラノ+ピアノ)」が演奏されました。指揮は客演常任指揮者という
肩書を持たれている守山俊吾氏。合唱はソフィアフィルの合唱団と渡欧したこの合唱団の合同
です。(ソプラノ日柴喜恵美、ピアノ矢吹直美)日本人がヨーロッパで活躍されているのは嬉
しい限りですが、オーケストラやそれを取り巻く状況が、必ずしもヨーロッパ>日本という状
況ではないこと等が感じられ、日本の状況の優れた点、しかし長い歴史を持ったヨーロッパの
シンプル過ぎる音楽環境が逆に揺るぎなく感じられる点、それぞれ考えさせられました。つま
り、みしみし言う簡素なつくりの ホールには、決してゴージャスな環境じゃないと音楽が出来
ないということではない逞しさの中に音楽が根付いている状況が感じられるとともに、逆に例
えばコンテンポラリーに対する旧東ヨーロッパの演奏家たちの(全てがそうではないとはいえ)
慣れてなさのようなものを感じました。両国の合唱団の合同の演奏も、当たり前のように良い
歌唱をするが苦手克服には頓着しないヨーロッパの合唱団に対して、日本の合唱団は素の状態
ではとても及ぶものではないが、努力の質が良い場合にはむしろ良い結果が出るのだとも感じ
ました。逆に言うと、過剰になって本質を見失いがちな「日本人の勤勉な努力」も、音楽に対
する謙虚さと位置付けると重要な要素ではあるということですね。バランスと中身が大事だな
と感じました。
(左) ソフィアの町にて
(中) 散策中にみつけたレリーフ 何のレリーフかは不明…
(右) 同ソフィア市内
ソフィアの街は、松下先生や日柴喜先生によると10年前とはまるで別の街ということでしたが、
目覚ましく舗装や美化が進んでいる様子です。分かりにくい電車の乗り方でしたが、沼丸コーデ
ィネートの行程は合流さえしてしまえば本当に楽で、快適なものでした。
私はソフィアでは練習しかしておりません。
その気楽さもあったかもしれません。
食べ物も美味しかったです。ちなみにラキアというお酒は果実から作った蒸留酒ですが、きついも
のの、(ドイツのビアホールでズブロッカが果たす役割(と聞く)のように)、ビールをチェイサ
ー(?)として飲むと、程良い効果を発揮すると思いました。いずれもホテルに帰ってからは記憶
を失うような形にはなりましたが。
(左) ソフィア市内で
(右) 美味しかったお料理 ラキアとビール・・・
(セルビア)
バラの石鹸を買い込んでブルガリアのソフィアからセルビアを抜けてコソボに至りました。
本来はこの行程でマケドニアを通るはずでした。しかし、出発の3日前になって、マケドニアで
武装勢力による警官殺害事件が起こったことから、コソボへのルートがマケドニアからセルビア
に変更されました。本当はコソボへの行程が危険であるためにソフィアフィルのメンバー(コソ
ボではソフィアフィルの5名がオリジナル楽譜の弦楽五重奏で演奏することになっていた)が同
行を拒否したために、このコソボ行きが無くなる可能性があったのですが、幸いにして、セルビ
アのルートが現地の旅行会社から提案されたとのことです。このルートは日本からでは探せない
ルートです。つまりそのことは、その道がきれいに整備されたバイパスでなく、凸凹した舗装さ
れないローカル道路であることを示してもいました。
私たちは島国にいるために国境に対する感覚が少なく、また国境を超えること、越えられないこ
との意味や、それが時に多くの人々の辿ってきた苦難や悲しみを象徴するということに無頓着で
ありすぎるのかも知れません。ブルガリアからセルビアへの出国、セルビアへの入国、セルビア
からコソボへの出国、コソボへの入国については、合計4回ものパスポート提示が必要であり、
それぞれ銃を持った国境の警備員がバスに乗り込んでくるような状態でした。日本人であったか
らこそこの越境は面倒なだけで問題なく行われましたが、この国境が様々な悲しみや苦悩を作って
きたことをひしひしと思い知らされました。
しかしながら、季節がよく天気は良好。
セルビアの風景も本当にきれいなものでした。
昼食を取り、少しだけ街の散策を楽しみました。
かつてコンスタンティノーブルとローマという東西の都を結ぶ宿場的な賑わいを持っていたとい
うSinの街は美 しい午後の表情を持っていました。
川はブルガリアから流れています。
(コソボ)
さて、コソボ共和国がこの旅のメイン。そして、今回、忘れがたい思い出を残してくれました。
まずは季節が良かったということがあるのでしょうが、季節を巡って再生する若葉の緑と同じく、
内戦等で失われた命や街について、若い人たちが中心になって、「ReBorn」というモニュ
メントを作り、必死に蘇らせようと努力している様子がひしひしと伝わってきます。
街路には植栽が植えられ、至るところに五月の花が見られます。
ヨーロッパにおける五月が再生の季節であることも十分に理解させてくれる天候でもありました。
マザーテレサ教会での演奏会。
私は前半のステージで、松下耕先生のわらべ歌や民謡のアレンジシリーズを指揮させていただき
ました。良い響きとほぼ満員にも埋まった聴衆の鳴りやまない大きな拍手を得て、何とか渾身の
演奏は出来たかなとは思いました。堺住吉の和風ペンタトニックが受けたのはどういうことだっ
たのでしょうか?私が振り返り、指揮するために姿勢を整えてもなかなか拍手が終わらず、次の
曲にいけないような状態でした。曲の良さが第一でしょうが、現地でたくさん練習し、熱心に歌
ってもらったメンバーの気持ちがしっかりと客席に伝わったの だと思います。しかし何といって
も、後半のステージ、松下耕先生本人による「スターバトマーテル」の演奏は本当に素晴らしい
ものでした。
内戦が続き、難民が溢れたこの街で…、人種や宗教が入り混じり、今だに痛みを抱えているであ
ろうこの街の教会で、松下先生が自作のスターバトマーテル(悲しみの聖母)を演奏することの
意義は大きかったと思います。宗教の種類の問題ではありません。祈りがあるかどうか、音楽や
大いなる力に対して無力である私たちの謙虚さがあるか、痛みに寄り添い、平安を希求する気持
ちが満ちているかどうか、ということが演奏の鍵でしょう。
コソボの人たちにとってはいささか長い曲であることが懸念され、当初は半分の楽章の演奏が予
定されましたが、 状況から全曲演奏(約40分)する以外の選択肢が浮かばず、そのように舵を
きったことも奏功しました。気持ちの入った音楽は、国境も民族も宗教も、難易度も関係ないも
のなのです。当たり前のことではありますが、教会に鳴り響いた音楽はコソボ(プリシュティナ)
人たちの心にも深く染み渡るものだったに違いありません。
素晴らしい夜になりました。
翌日は夜のフライトでしたので、本当に珍しいことに松下耕先生、沼丸先生と、耕友会のメンバ
ーお二人とともに のんびり過ごしました。ひとまずコソボの料理がおいしかったのか、入った
レストランのクオリティが高かったかはわかりませんが、素晴らしい味とサービスでした。お昼
からレストランのテラスでビールを飲み、優雅で楽しい休日を過ごさせてもらいました。
コソボは、私たち日本人には情報の遠い地域でもあり、不幸な歴史の連続であったことは知って
いるものの、どのような人たちがどのように暮らしているのかということに関しては全く分かっ
ていなかったと思います。行って初めてわかることばかりでした。
各地で、内線の爪痕の残る建物もあると聞きます。少し裏通りに行くとストリートチルドレンや
物乞いの人たちもおられました。貧富の差の激しい状態があったり、観光客からは見えない闇の
部分もあるのでしょう。しかし、プリシュティナの街並は美しく、至るところで建物が新しく生
まれ変わっています。地図を作ると数か月後には別の地図に差し替えないといけないというほど、
目まぐるしく生まれ変わろうとしている様子でした。植栽もきれいで、季節が良かったのもあり
ますが、緑が多く、至るところに花が見られました。何せ、この国の平均年齢は20歳代という
ことです。(その分たくさんの方が亡くなられたということもあるでしょう)負の歴史のことを
忘れるわけにはいきませんが、新しく生まれ変わろうとしているコソボ共和国のわくわくするよ
うな息吹に勇気を与えられたような思い出深い旅となりました。
(左上) プリシュティナの町を散策中に駅で小休止
(右上) 同じ駅のホームにて 列車は日に2本くらいしか来ないとか
(左下) プリシュティナのホテル前でポーズ
(右下 プリシュティナ市内散策中、松下耕先生と
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