日めくり詩人〜2015
15−11 2016.1.4
ツイッターとかそういうものが好きではないので、あくまで自分へのメモ、
もしくは事実を虚構化し、逆に真実をあぶりだすための縁(よすが)として、
下記に日記ふうに記憶を羅列してみる。私の記憶はリアリズムという紅茶に
夢想のジンジャーが香る虚構のフレバリーティーでしかないわけだが。
あ、そうそう出来るだけ合唱とは無関係の事項を並べた。今年一年を思いつ
くままランダムに。しかしながら、何と薄っぺらい日常であることか。合唱を除くと。
○月×日
村上春樹のエルサレム賞受賞の際のスピーチとして有名な「壁と卵」を読んだ。
このスピーチは知っていたはずだった。しかし、落ち着いて読み物として何度も
何度も反芻し考えながら読んだときに、スピーチの言葉の選択に至る苦渋に思い
を馳せることが出来た。
システムと個人、不可能性と可能性、冷たさと温もり、屈強さと脆さ、…毎朝仏壇で手を合わせる父親のくだりには心を動かされた。作家とは真摯に言語とその
役割について向き合う使命を持つのだ。表現者とはそうあるべきなのだ。
○月×日
宍道湖のほとりに佇み、沈みゆく夕日を見ながらフェルマータについて考えていた。
○月×日
上野の美術館でモネを見た。
天気の良い秋の平日だった。
モネを見るために上野の美術館に行ったのではなく、上野に行ったついでに美術館
に入るとたまたまモネ展だったというわけだ。
最晩年、つまり白内障で視力が弱ってからの絵が胸に迫った。
一歩下がってみると分かること、見えること、感じられることがあった。
長生きはいいが、最愛の人たちが先立っていく寂寥が筆致から溢れているのだ。
人生は美しく、辛く、寂しい。
外に出ると、美術館の中身とは無関係に無邪気にはしゃぐ修学旅行生たちがいて、
美しく平和な風景があった。そのコントラストに世界の豊かさを感じた。
○月×日
夏の日本海を見るために、わざわざ鈍行の電車を選択した。浜田から益田。素晴ら
しいブルー、止まった時間。反復する波と記憶。力強く横切る夏がある。
母親の故郷が山陰だったので私にとっては、夏と言えば日本海の海だ。
濃いブルーがミネラルのように力を与えてくれる気がする。
かつて、浜田に行くのに、わざわざ山口から行ったことがあるが、それは日本海を
見たかったからでもある。
○月×日
満月を見ながら広島のオープンテラスで牡蠣を食べた。
潮の香がした。
ああ、川は海に流れていくんだ。当たり前のことがときに感動的に胸に広がっていく。
そんなぼんやりとした時間に懐かしい電車の音がオーバーラップしていく。
耳を澄ますとエビが跳ねる音がした。
はるか海のほうから。
○月×日
小学校のとき、月の満ち欠けの授業を休んで以来、月に対する理科的知識を欠い
たまま大人になってしまっているように思う。
月と地球と太陽の立体的な模型を使って動かしてほしいと思っている。
プラネタリウムにリアルで分かりやすい立体模型はないのだろうか。
どのように月が満ち欠けし、空に現れたり消えたりしているのか、誰か分かり
やすく教えてほしい。
いつも月はいろんなところから出てくるのだ。
○月×日
ウィスキーを飲んだ
ブッシュミルズ、タラモアデュー、マッカラン…。シェリー樽に仕込まれた甘
い酒が好みであった。アイリッシュの気品も。
そう言えば、大学生の頃、飲めもしないのにラム酒を買った。
どうしても本棚に飾りたかったからだ。
○月×日
毎朝見る花梨の木に去年あんなになった実が今年は数個しかなっていないこと
に気付いた。
最後の1個が落ちたとき、12月も半ばを越えていた。
花梨を触った手はいつも長く良い匂いがする。
○月×日
ウィスキーを飲んだ
カーデュー
グレンリベット
ロイヤルロッホナガー
そう言えば、大学を卒業したての頃、ボンベイサファイアを買った。
見た目が美しいので、どうしても本棚に飾りたかったからだ。
○月×日
隙間の時間が空いたので、スターバックスで珈琲を飲みながら考え事をしていた
時間を潰すという言い方と、食事を適当に済ますという言い方は嫌いだった
一時間くらい何もない時間を過ごした
○月×日
パウルクレー展を見た。
「誰にもないしょ」
このキャッチコピーだけで私には十分すぎる。淀川長治がチャップリン自伝を
愛おしみながら少しずつ読んだように、私はチケットだけを握りしめて、最終
日の手前にようやく訪れた。
絶対に見ないと行けなかったので。
何を見たかをここで書くようなことは出来ない
言葉にならないから絵なのだ
フェルマータの夕日が海に落ちるときの音
30年経ってもまだ手さぐりしている天使との再会
○月×日
歯医者に通って1年になる。
どうしてこんなにゆっくりしか治療が進まないのか。
それに、何度聞いても、歯を削る音が、この世の音の中で一番辛い音に聞こえる。
私は痛みに耐えながら、虫歯が原因で死んだルードヴィッヒ2世のことを思うのだ
そして、帰り道には満月と欠けた歯の関係について考えるのだ
○月×日
ドーナツを食べた。
かつてテレビで見たガメラの映画の中で、幼い兄弟たちが眠り薬入りのドーナツを食
べさせられるというシーンが頭に焼き付いている。なんとそのガメラ映画の終盤、帰
宅した母親はドーナツをお土産として持ち帰っていたのだった。
私は思わず兄を見たものだった。
○月×日
電車が揺れることはわかっていた
予想通り珈琲をこぼした
人はどうして、予想や予感に対してときに抗えない状況になるのであろうか?
「こうなるのではないか?」
「やっぱりこうなった」
回避行動をしない怠惰こそが私たちの人生だ。
○月×日
久しぶりに小泉八雲記念館に足を運んだらちょうど「耳なし芳一」の芝居のビデオ
が放映されていた。本当に恐ろしいものは本当に美しく、本当に美しいものは本当
に恐ろしい。
ある種の恍惚と背徳的なエロティシズムさえ感じさせる。
なるほど、つまらないと思ったピーターグリーナウェイの映画だが、ある一シーン
だけ今になって共感出来る。なぜそのようなシーンを撮りたかったのかということ
についてだけだが。
○月×日
同世代の演出家とともに手塚治虫について語った。
私の原点である。
つい饒舌に語ってしまった。
アトム今昔物語について、ハトよ天までについて、ジャングル大帝について。
「ロボット流し」について
私は「海蛇島〜アトム赤道を行く」のラスト、アトムが人間の女の子を学校の窓か
ら見送るシーンが好きだと言えるくらい誰にも負けない筋金入りなのである。
○月×日
ハローウィンが終わってすぐクリスマス飾りになる商店街を見るとうんざりする。
宗教的な感覚についてではない。日本人は寛容な八百万の神に対する敬意を持って
いるのだ。
しかしながら、ビジネス広告やマスコミに踊らされることなく、もっときめ細かな
季節感に満ちていた時代のことを本当に豊かに感じてしまうのである。私たちの世
代も先代から言わすと利便と引き換えにたくさんのことを失ったものであろうが…。
栗の実を剥いたあの日の午後は、もう手の届かない時間のように感じる。
○月×日
11月が私の苦手な月だった。
それは何となく今も変わらない
○月×日
毎朝、庭の池の金魚に餌をやるのが幼い私の日課であった。
ふと思い出した。
今日は池に氷が張っているのではないかと思った朝に。
○月×日
私は思い出を愛する。
私は思い出という寝床の中から抜け出せない。
私は思い出というものに憧れて記憶を捏造する。
そして、私は夢を見る。
長い夢を。
○月×日
私の最も好きな詩人は誰か?
いや、自分の気持ちが近い詩を書く、憧れの人は誰か?
と聞きなおしても、たいてい当たらない。
私という人間が、不本意ながら、きっと真っ正直な人間ではなく、
はぐらかしを身上としてしまっているので。
○月×日
季節が好きだ
ついでにいうと数字も好きだ
その二つを合わせるて、12の月というものが好きだ
私が唯一連載いた映画評はちょうどひと月ごと、12回で終えた。
私が書いた小説もどき(と言えるのか)はひと月ごと、12編だ。
私の書いた12の月の詩に12の曲をつけていただいた。
全て私の想い出に直結する風景だ。
○月×日
九月が好きだ
昔から。
○月×日
規則正しい生活が好きだ
いや、ゆとりある生活を規則正しく過ごすのが好きだ。
規則正しく過ごすことによって、月の満ち欠けや草花の膨らみや
水や風の温みという、相手の小さな変化が楽しめるから。
○月×日
長崎で長崎ちゃんぽんを食べた。大学時代に友人の結婚式(在学中)、
に出向いた帰りに九州を旅して以来だった。
その時、私は哲学書を持って歩いていたのだった。
就職も決まり、哲学書が役に立つはずなどなかったのに。
もっともふさわしくない本を一冊持って九州を旅していたのだった。
○月×日
トルコ料理を食べた。
どことなくブルガリアを彷彿とさせる。
世界地図で確認するとブルガリアとトルコは近いんだということに気付いた。
そうそう、イスタンブール空港で乗り換えたんだった。
黒ビールが美味しかった。
○月×日
想いもかけない一年になった人がいただろう。
今年の最初は想像もしなかったようなことが起こり、もう一度フィルムを巻き直
すように一年を間違いなく過ごしたいと思っているような人が。
○月×日
引っ越してからもう2年以上が経つのに、壁には絵を貼っていない。
12枚の絵を貼った。
クレー、クレー、シャガール、ピカソ、ピカソ、コクトー、ミロ、マチス、
ルオー、ゴッホ、佐伯祐三、よく分からない絵。
○月×日
高校時代、市中の図書館から徹底して画集を借りたことがあった。世界の絵画全
集全20巻のようなものを3冊ずつくらい3日ごとに借りていたのだ。必ず巻末
にあるバイオグラフィーのようなものを熱心に読んでいた。
伝記が好きなのだ。
○月×日
欲張りでなくなったら、たいていのことに気が楽になりそうだ。
しかし、欲を捨てたら私には何も成し遂げられる能力がない。
ストレスを抱え込んででも成し遂げられるmissionがあるような気がしているのだ。
それが錯覚だとしても。
夢と錯覚は似たようなものだから。
○月×日
日本酒を飲むとその土地の水が感じられる。
新酒を飲むと酵母の力を感じる
○月×日
師走に入ると、日々が溶けるように過ぎていく。
慌ただしい時間
この慌ただしさがある種のやすらぎに向かって終息することを願い、私は電車の中にいる
○月×日
雪の降った大晦日の朝に父と金閣寺に行った幼い日。
シャッターを押すカメラマン以外誰もいない美しい金閣寺だった。
時々ふと思い出す
そしてそれから40年以上も経った大晦日の晩
私はこのところいつものように、蛸薬師で大根を食べ、錦通りを歩いた。
毎年同じようなことをして過ごしながら、少しずつ変わっていく風景と気
持ちを味わうのが私の年末である。
季節が私を慰め
季節が私を励ます
来年の旅はどのようなものであろうか?
多少の困難があっても、また落ち着いてここに戻ってこれるように。
そう思いながら、錦を後にした。
今年の末にウィスキーを飲んだ
グレンマレイ
グレンフィディック
フィンドレーター
今年の最後にウィスキーを飲んだ
グレンモーレンジ
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