長崎の想い出15−10 2016.1.4どうも合唱コンクールというものが今一つ好きになり切れないというか苦手と言うか、 考えすぎるというか、当たり前にストレスが高いのです。しかし、本当に好きでない人 は逆に何とも思わないでしょうし、本当に苦手な人は紛いなりにも連続して賞を取るよ うなこともないのでしょう。しかも全国大会で金賞しか獲ったことがない「なにわコラ リアーズ」が出場しなくなってから「ひとまずきれいに金賞を並べたい(ねばならぬ)」 というプレッシャーはなくなっているので、気楽に出られるような心持がしていたので すが、実際はそうでもなく、長崎でその原因について分析したのですが、次のようなこ とが分かってきました。
それは、自分が一音も出さないにも関わらず音楽が進行していくことに対するもどか
しさであるような気がしてきたのでした。 学校での教員であれば明確に、「日々献身的に育てた」ことに対する視座というものが 存在するのでしょうし、赴任して1年目ならまだしも数年間かけて育ててきた生徒とと もに評価を得るということは、限られた制約の中での教師としての立ち位置も含めたも のですから、(また違った苦労とストレスがあるのでしょうが、)演奏結果に対して指 導者としての側面にもある程度のウェイトがあるような気がします。しかしながら一般 合唱団というものは、天塩にかけたつもりのメンバーを転勤で手放したり、たまたま転 勤等で来てくれた素晴らしい歌い手をありがたく確保することで大きなadvantageを得 たり・・・、というのが(全てではないにしても)現状でしょう。つまり、具体的には「外 声にどのようなメンバーがいるのか、」ということがコンクール結果を左右する(最重 要な要素である)ことは疑いようもなく、だからといって意味がないとかということで はないのですが、演奏結果と指揮者としての立ち位置に微妙なストレスを感じてしまう、 ということのように思えてきました。 違う言い方をすると、合唱団を切り盛りするプロデューサーとしての役割と、純粋に 音楽と向き合う指揮者としての役割が混在しており、コンクールという他者に分かり やすく結果が出てしまう場面では、結果との相関をどのような態度で見つめれば良い のかを迷うということなのかもしれません。 若くて、毎回の練習をメンバーとともに過ごしていた頃とは異なる立ち回りをする必要 の生じてきている年代であり、合唱団として一喜一憂すべき「メンバー」であることと、 合唱団との従属性とは切り離された「音楽家・指揮者」としての側面を併せ持ってしま っている状況が私の現在の合唱コンクールへの個人的なストレスを増幅させてしまって いるようにも感じます。 あの課題曲をそのように解釈しましたか、とか、あそこはあのようなテンポ設計されま したか、という音楽の中身に関しての反応に関しては会話も弾むのですが、「おめでと うございます」とか「残念でしたね」という結果を媒介とする表面的な反応に対しては リアクションに困るのが現状です。そういう意味で、コンクールとの付き合い方を考え なおす過渡期に来ているのかなと感じます。
でも、来年は出ます。 さて、昨年は、高松の駅でうどんだけを食べて高松気分を味わいましたが、今年は空港で 「ちゃんぽん」と「皿うどん」を食べて長崎気分を味わうにとどめました。コンクールの 当日、演奏後に地元に帰って別の練習するのは私くらいでしょうか。単に忙しいばかりで はなく、自分の中にある違和感のようなものをリセットしたいという気持ちの表れなのか もしれません。
P.s |
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