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 なにわコラリアーズ第21回目の演奏会

15−4 2015.6.2

パンフに書いた通りでありますが(→ 21回目の演奏会に寄せる)なにわコラリアーズもついに20周年を越 えて新たな活動を展開していくことになりました。
合唱の原点に返り、日本の合唱作品の名作(昭和)を1ステージ、私の師匠 であり「なにわコラリアーズ」の名称 の由来にも関与する福永陽一郎のクラ シカルな作品(編曲)集へのチャレンジ、千原英喜先生の曲、そしてアラカ ルト…というプログラミングとなりました。骨太の昭和の名曲「水のいのち」 は昨年が完成からの記念年にあたり、たくさんの団体で演奏があったと聞き ますが、逆に一年外して取り上げてみました。男声版もかねてより畑中良輔 や小林研一郎指揮の両極端の名演奏があり、私としては、様々なものを飲み 込んだうえで、気負うことなく、自分の心の底から自然に出てきた音楽を心 がけたつもりです。
チャイコフスキー歌曲集は、歌曲を合唱曲に編曲するという点においては、 やや合唱の本来的な方向性からは外れるものなのかもしれません。しかし、 例えば和音のバリエーションやリズムの複雑さに特徴のある現代曲をある程 度のノウハウによって処理しながら演奏していくよりも、はるかに捉えどこ ろのない奥深い味わいがあり、手を伸ばして近づこうとすると取り逃がして しまうような難しさがあります。ロマン派音楽の取りとめのない凄みや深さ のようなものと対峙する練習時間は、私自身の感性を奥底から刺激してくれ る時間でもありました。
このような曲を私たち(往年の四連の人たち)は福永陽一郎や畑中良輔や若 い日の井上道義や小林研一郎の指揮によって鍛えられていたということです。 合唱連盟のコンクールを軸とした合唱界の大きな流れの中では、このような 恐るべき事実はあまり知られていないことなのでしょうが、このような経験 をさせてくれた大学時期は私の中の音楽の種をしっかりと育ててくれる時期 であったと自負しております。(ただし、多くの四連のOBがそこをノスタル ジーのよりどころにし続けることから、私たち(なにコラ)は離れて旅立っ て行こうとしていたわけですね。
しかしながら、20年以上の年輪を重ね、再びこのような曲目に挑むことに ついては大きな意義と価値があるように思いました。

最近、「合唱指揮をしたいんです」という若者が私なんかに近寄ってきます。 私は卒業後において、試行錯誤と七転八倒を繰り返しながらそれなりに練習 の簡便ハウツーのようなものを自己開発してきた感じはしますが、音楽の本 質はそこではないとはっきりと思っています。そのような学生には、「君は そもそもドストエフスキーを読んでいるよね?」「フルトヴェングラーをど う思う?」と意地悪を言うことに決めていますが、合唱の狭い世界の中で井 の中の蛙になってしまわず、もっともっと大きくて深い音楽の世界(もしく は芸術の世界)に関心を向けるべきではないか、と思っている訳です。

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