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 2011年の終わり

11−21 2012.1.18

この数年間は年末は「学生指導者合宿」で合唱納めとなり、大晦日の一日 を錦で日本酒(今年は、桃の滴、英薫生原酒、月の桂純米吟醸にごり、 =本当に素晴らしい)を買って、銭湯に入って月を見ながら終えるという ことにしております。銭湯から上がると、懐かしいK君から電話が入って いました。 月の桂
もう10年近く会っていない学生時代以来の数少ない友人(書道家)です。
私たちは大学時代に「耳」というタイトルの同人誌?(内輪だけの)を作 り、詩や映画論、小説を書いておりました(私の担当は映画評論)。もち ろん、3号を待たずに雑誌は予想通りの廃刊となりましたが、およそ2年 くらいの長きに渡って、編集会議とかこつけて、金曜の夜には原谷という 山奥にあった彼の広い下宿で夜明けまで語り合っていたことを思い出します。

学生指導者合宿では、合唱指揮者になりたいという人に何人か出会いました。
私に教えられることはありませんし、私は福永陽一郎を見てきましたから、彼らが 私なんかよりももっと大きな人たちに憧れて指揮者を目指してくれることを祈るの みですが、もしも私に「指揮者になるには?」というような愚問をぶつけてきたと したらこう言おうと決めている台詞があります。

「そんなことより、誰かに聞くより、ドストエフスキーの全長編を読んだほうが良いよ!」 「ベートーヴェンの弦楽四重奏は全部繰り返し聴いておいたほうが良いよ!」 「ホルショフスキーのピアノも良いよ!」

何となく、ちょっと意地悪な言い回しかもしれません。
(でも、実はこれは私がかつて、同志社グリークラブの後輩学生指揮者に言っていた 台詞でもあります。)

音楽をまっとうに勉強することはもちろん必要でしょうし、バトンテクニックも 楽典的知識も語学の知識も欠かせないでしょう。それに対して斜めから見ている というつもりではありませんし、私には欠けたものがあるばかりで、それを埋め 合わせる本質について語っているというわけでもありません。

ただ自分の体験に基づいてのみ言うと、何か感じたいものや、表現したいもの に飢えて渉猟、徘徊、探検してきた結果が、音楽大学を出たわけでもなく、自 らはきれいな音を一音も出しようもないのに、合唱指揮者として活動してしま っている発火点になっているのかもしれないと思ってはいます。
つまり、今人前に立って(いや、恥ずかしい話ですが)音楽を指導する立場に いることに対する源泉のようなものは、実は全て大学時代の原谷にあったとも 言えるのかもしれないと思っています。
私たちは(主に三人でしたが、合唱関係ではない)ロラン・バルトについて、 レヴィストロースについて、メルロポンティについて、ミッシャ・マイスキー について、ギドン・クレーメルについて、成瀬巳喜男について、アンドレイ・ タルコフスキーについて、バッハについて、マタイ受難曲について、武満に ついて、大江健三郎について、…同時に激論を交わしていたのでした。

当時のK君は、私の一つ後輩でしたが、朝日とともに起き、硯に向かって墨 を刷り、ひたすら字を書き、夕暮れとともに酒を飲み、バッハの無伴奏チェ ロ組曲を聴きながらいつの間にか眠り、また朝日とともに起きる…、という 生活をしていました。(従って大学に顔を出しもしない彼が2年遅れで卒業 出来たのは私のノートと解答例のおかげでもあったのです。その後彼は数年 間の中国留学と修行を果たし、現在期待の書家としての活躍を始めています。 電話は彼の記事が載っていた新聞を見つけたので、送ってあげたことの返礼 でした。)

「伊東さんが将来指揮者になって、この演奏会だけには来てくれ!という場 面があったら、外国にいても100本の薔薇を持って駆けつけますよ、」と調子 の良いことを言ってくれていたことを思い出します。まだそのようなシーン は私にも訪れてないようです。

2011年もあっという間に過ぎていってしまいました。
私は、何をどのようにしたいのでしょうか?
何となく、大学時代のさすらいは、今なお合唱活動という「形を借りて」 続いているだけなのかもしれません。
付き合っていただいている皆様に感謝するのみです。

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