日本の子どもコーラスを活性化させる
→いや、子どもコーラスから日本のコーラスを活性化させる?
京都で「みやこキッズハーモニー」という合唱団を立ちあげてからちょうと10年
が過ぎます。モットーは「上手くすることを目指さないこと」と言うと、「また
また、ご謙遜を」という話になるのですが、もう少し言葉を足せば意図が伝わる
でしょうか。「上手くしてあげたいという気持ちと愛情を持ちながら一生懸命指
導するけれど、現時点での詰め込んだ練習によって、短絡的な結果を生もうとはせ
ず、心身の発達の状態に合わせて指導しながら歌や合唱を好きになってもらえるこ
とにウェイトを置くことを心がけたい」ということです。子どもは忙しいので月2
回の練習です。以前、少し離れた大阪の地で児童合唱の修行をしていたのですが、
どうしても生活空間を子どもたちと共有していないので、メソッドの習得と試行と
に終始してしまった反省もあります。現在は私の家から歩いて行けるところで練習
していますので、例えば「昨日は運動会だったね」「お祭りに行った?」というよ
うな会話が成立します。私が作った今風わらべうたを教えて、「そんなん知らんえ
ー(京都弁)」と突っ込まれながらの会話が成立します。つまり、大人が近所の子
どもたちに歌を教えるという地域教育の延長線上に「合唱」を位置づけているとい
うことになります。
…さて、日本の子どもコーラスの課題は非常に根本的なものだと思います。キリスト
教的なバックボーンがないので「何のために歌を歌うのか」「歌によって何が出来る
のか」ということを常に考えつつ取り組むことが出来るかどうかということです。も
ちろん、試行錯誤によって答えは無限に出てくるものだと思います。
ただし、実は「子どもコーラスは小児科のような特別のジャンルなのではなく」その
ことが中高生・大人を含めた全ての合唱の根本課題であると考えられるかどうか、とい
うことが日本の合唱界の課題なのだと思います。
<どのように人の声を聞くか?><身体の発達と声をどう結びつけるか?><どんな
レパートリーを歌うか?><どんな行事に参加しどんな活動をするか?>…等々の課
題はそのまま合唱界の課題です。それらと向き合いながら「合唱音楽が子どもたちの成
長に果たす役割」と「子どもたちの奏でる歌声が私たちの社会に果たす役割」を考えた
いと思います。その時、私たちは「克己心や達成感を中心に発展してきた側面のある合
唱界」が持ち得る一つの閉塞感と、それを突破する視点に気付くようにも思うのです。
2016年『ハーモニー 夏号』より
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