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軽井沢から吹く「風〜」について

「軽井沢合唱フェスティバル」のお誘いを受けた電話の直後に私の頭に最初に浮か んで来たのが「風よ、雲よ、光よ、夢をはこぶ翼…」という武満徹の「翼」の歌詞 でした。きっとこのような風景の中で音楽会が開催され、多くの仲間と一緒に美し い空気を吸い込むことになるのだろう…と思いながらフェスティバルを楽しみにし ておりました。
私の率いた合唱団「葡萄の樹」は招待されるには未熟な合唱団ではありましたが、 温かい雰囲気の中で気持ち良く「翼」を歌わせてもらうことができました。もとも と「合唱が生活の隣に位置し、その潤いになるような活動」を指針にしておりまし たので、軽井沢で学び吸収したことを、今後の活動スタンスの中でゆっくり生かし ていきたいと考えています。

さて。ヨーロッパ型の音楽祭を彷彿とさせる、この手作りで温かいフェスティバル の示す意味は大きいと思います。常々、合唱界を変革していくことは日本社会の構 造変革に関与していくことであると考えてきましたが、戦後日本の合唱界がモダニ ズムにおける三つの装置「企業=職場の合唱」「それを支える専業主婦=お母さん コーラス」「競争社会の訓練とも言うべき中等受験教育=コンクールを軸とした中 高校生の合唱」によって支えられてきたことを考えると、合唱界の発展構造は社会 構造と一定度パラレルであることが理解できます。また、中央集権的仕組みを持ち、 克己心や達成感を原動力とする「コンクール」の結果を前に盛り上がることが、い ずれ合唱界に多様性とは反対の閉塞感や疲弊感を引き起こすことの可能性も危惧し てきました。
モダニズムの装置が既に崩壊しつつある今こそ、社会システムを巻き込んだ合唱界 の構造改革を意識しなくてはならないのではないでしょうか。

この夏、日本では第7回世界合唱シンポジウムが開催されました。合唱の多様性と 奥行きを示す世界的イベントの中に、日本の合唱が見失いがちであった課題と指針 が見えたはずです。
「何のために歌うのか」という命題に向き合うこと、個性を育てること、歌のオリ ジンに位置する文化と向き合うこと、そして結果でなく拡がりを求めること…、あ るいは「初等教育における音楽や合唱」「遊びと歌」「家族と歌」「仲間と歌」 「地域と歌」「音楽会と生活の垣根を低くすること」「人前で表現し、コミュニケ ーションを取り結ぶということ」「耳を傾けあい、違いを尊重し認め合い受け入れ あうということ」…、これらのテーマに向き合うことは、合唱をより本質的で普遍 的な文化的基盤に位置づけることでもあります。
逆に言えば、黙って遊ぶ子どもたちの時間や場所、失われていくわらべ歌的情緒、 学校教育の中で音楽の時間数が減っていくことや、コミュニティ形成が難しい地域 社会、「とても歌どころではない」30〜40代の合唱人口の減少…などを無視して、 一部の人だけがステージ上でテクニックを競い合っても合唱文化の成熟とはほど遠 いと思うのです。合唱を考えることは合唱の位置づけやそれを取り巻く社会構造に も思いを馳せ、関与するということでもあります。
…話が膨らみすぎましたが、「集い、歌い、聴き、学び、分かち合う」軽井沢のフ ェスティバルは「課題」と「豊かさ」が同時に語られる場としても、日本の合唱界 の意識構造を変えていく新たな「装置」となるのではないでしょうか。

軽井沢からの新しい「風が」全国に心地よく浸透し、合唱の未来を切り開く改革に 繋がるものと信じます。 「合唱にできることは何か」と考え、全国の仲間と気持ちを通わせ合い、そして将 来は、避暑に訪れた一般の人々がふらりと立ち寄り「合唱って良いものですね」と、 つい自分でも声を出してみたくなるようなイベントに発展していくことを願ってい ます。京都から軽井沢に向けて力強い声援を送っていきたいと考えております。

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京都では、昨年から祇園祭時期に「アルティ声楽アンサンブル」という催しを開始 しました(京都御所のすぐそばに位置するアルティホールにおいて、2日間にわた り、講習と演奏・交流会を合わせたイベントを開催。アカペラ合唱や室内合唱を中 心に全国からの参加を呼びかけています。今年は松下耕先生に講習を、山梨の女声 アンサンブルJuri(藤井先生)と岐阜のPROMUSICA VIVA&IR (雨森先生)を招待し、演奏をしてもらいました)。こちらも競うよりもお互いに聴 き合い、個性を分かち合うことを主旨としておりますが、何とか継続させて、全国 の合唱仲間と合唱の多様性や音楽の深さを分かち合い、学び合い、語り合い、刺激 をクロスオーバーさせる機会にしたいと考えています。

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武満ゆかりの土地でもある軽井沢では、ちょうど武満徹の回顧展が開かれていまし た。フェスティバルの翌日に足を運び「乱」のシナリオに書かれた「昨日の悲しみ 今日の涙」の自筆文字に見入っていたところ、同じようにかなりの時間をかけて展 示物をご覧になっていた方がおられました。
とても素晴らしいピアノの講習をしていただいた浅井道子先生でした。

2005年『合唱表現14号』より
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