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私の師匠〜指揮者:福永陽一郎

1989年12月、私は学生指揮者として同志社グリークラブの定期演奏会の舞台に立っていました。福永陽一郎と私たちとの最後の演奏(翌年2月に急死)となった思い出深い舞台です。それを客席で見ていた一人の中学生がいたのですが、学校でトランペットを吹いていた彼は、福永陽一郎の指揮する「岬の墓」の演奏を聴いて自身の音楽人生が開けていくのを感じました。しかしそれ以上の衝撃として、隣の客席で号泣する大人がいたのを見て、その姿が「ある種の尊い人生の謎・・」のようなものとして引っかかっていたそうです。何が突き動かしたのか…、演奏中に泣くということはどういう心境なのか、という問いが胸を離れなかったということでした。…それから25年後、当時の中学生は予感どおり音楽家になっており、偶然が重なって実に25年ぶりに同志社グリークラブの演奏会に足を運んでいました。今度は福永陽一郎ではなく、私が「帆を上げよ高く(信長貴富/みなづきみのり)」という委嘱新曲を指揮していたのですが、その2曲目で「不意にあふれた涙を堪えきれなかった」と、伝えに来てくれたのでした。ちょうど25年前に隣席に座っていた大人のように…。
「みなづきみのり」は私が作詞をするときのペンネームですが、2曲目は私の大好きな福永陽一郎との思い出を一般的な語句に変容させながら語ったテキストでした。拙い演奏だったはずですが、そのことを読み取られたのでしょう。かつての中学生とは福永陽一郎のお孫さんで、今は音楽家になっておられる小久保大輔さんでした。このときほど、音楽が取り結ぶ縁を感じたことはありません。
幾度も藤沢のご自宅をお訪ねし、藤沢市民会館に足を運んだものです。私が指揮者としての活動をしているエネルギーの全ては福永先生からいただいたものです。時空を越えた引き合わせも含めて、いまだに未熟な舞台を全て見られていて、その度に音楽とは、演奏とは、人間とは、と教えられている気もいたします。

神奈川県合唱連盟機関紙「kanon 冬号」より
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