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軽井沢に集うということ   軽井沢合唱フェスティバル2007報告

幸福なことに、軽井沢合唱フェスティバルには初年度から「合唱団:葡萄の樹」 「なにわコラリアーズ」を率いて参加させてもらってきました。第3回目になる 今年は初日から一段と多くの集客と関心を得て盛り上がっている様子を見て、こ のフェスティバルを貫くコンセプトが着実な広がりを見せていると確信しました し、松下先生並びに耕友会の裏方スタッフの努力や意気込みや気遣いにはただた だ感謝するばかりです。

さて、今回の軽井沢合唱フェスティバルには、私が技術顧問をしている「同志社 グリークラブ」を連れて参加することになりました。参加したグリークラブのメ ンバーの様子を見てふと思い当たったことがありました。
実は私の本業は大学職員なのですが、現在、大学のほうで「町家を拠点にした異 世代協同プロジェクト」・・・というものを計画しています。これは、公共心やモラ ル、組織への適合力の欠損…など、若者を取り巻く現代の社会的課題の多くが、 異世代の共存する「地域社会との関わり」の不足にあると考えたことに端を発し たものです。

下宿や定食屋等で学生が町の人との繋がりを保っていた時代とは異なり、現代の 学生の生活実態は「ワンルームマンション」「コンビニ」「友人とのメール」が 中心で自己(身内)完結になりがちです。学生にとって、「先輩」にも「後輩」に も立場を変える経験は重要であり、「文化」を継承していくことや「社会」を構 成していくための一員であることへの自覚を促すという意味においても「異世代 が混交する」地域教育の有効性に着目したのです。町家では「世代を越えた」サ ークル活動や議論の場、大人と子どもと学生が一緒に取り組む文化的プロジェク トの展開を予定しています。

現在、合唱に限らず大学生を取り巻く状況は20年前のそれではありません。この 「同志社グリークラブ」のメンバー数をとってみても、20年前(私の学生時代!) には80名、10年前には60名、今回は4学年で30数名の参加でしたので、 (もちろん、いまだに大人数を誇る元気な合唱団も多数ある訳ですが)、大学全体 のトーンの中で「一緒に長く居ることが必要な」大学合唱団のようなクラブ・サー クル活動はやや薄くなり(数名でユニットを組めるダンスサークルやアカペラサー クルが人気になっているという状況があります・・・)、その良し悪しは別にして、 学生の諸活動は組織力や縦の継承性(先輩後輩の関係)、等に脆弱さを見せ、やや 内輪に閉ざされる傾向を持つと言われます。以前なら大人や社会に反発し「自分た ちのことは自分たちだけでやりたい」というのが大学生気質でしたが、現在ではそ れが形骸化して残存し、やや「子ども部屋的」とも言える内輪メカニズムに結びつ いているというのが多くの分析です。

そのような傾向を側面として抱える活動状況の中で、3日間のフェスティバルが大 学生の彼ら(同志社グリークラブのメンバー)にもたらしたものは計り知れないも のがあったようです。
旅の疲れからか、初日にはぼんやりとした顔をしていた学生たちでしたが、「ゆりが おか児童合唱団」のピュアでひたむきな歌唱を聴いて、自分たちの中に欠けている何 かを嗅ぎ取ったようでした。フォルモサシンガーズの圧倒的な力、そして、レパート リーの多様さに音楽の歴史と文化の多層性を感じたことでしょう。「女声合唱団しな の」の演奏に深い味わいを感じ、「MODOKI」の演奏に憧れを抱き、「さやか」 や「耕友会合唱団」の演奏には楽しませることを含めた音楽表現の本質を知ったことで しょう。
感想を聞くまでもなく、初日と三日目で大学生の目の輝きや言動が全く異なっていた のには驚かされました。

そんな様子を見ていて、私はこの合唱フェスティバルの魅力の一つとして、必ず児童合 唱、ユース世代、混声、女声、男声がバランス良く配置されていることを挙げたいと思 いました。いろんな地域からの合唱団に加え、いろんな「世代」の歌を聞いて驚いた学 生たちは、逆に不安一杯で立った舞台で、知らない人しかいないはずの会場から溢れる ような温かい拍手をもらい、見違えるような笑顔になりました。「自分たちのような演 奏でも、多くの方が喜んでくれる」ことを実感し、上手い下手だけではなく「心をつな ぐものとしての音楽」の本質に触れることが出来たと思うのです。

交流会では思い切って、いろんな合唱団の人たちに声をかけておりました。出会った子 どもたちと声を交わしたり、たくさんの社会人シンガーズに「大学生頑張れ!」と励ま され、様々な形で一生歌声と向き合っていくことのトータルイメージも持てたことでし ょう。フェスティバルを終えた彼らの感想は、音楽のことだけではなく、まさしく自分 たちの「世界観や人生観や価値観」の広がりというものでした。軽井沢合唱フェスティ バルは、合唱団を「批評、評論、評価」するのではなく、音楽や合唱団や歌い手そのも のを「育てる」取り組みでもあるのだという実感を持ちました。そしてまた、歌が地域 や国を繋ぐものとしてだけでなく、世代を繋ぐものとして存在するということを強烈に 感じさせたのでした。

軽井沢に参加した同志社グリークラブのメンバーが、いつかまた別のどこかの合唱団の メンバーとしてこのフェスティバルに参加してくれることを期待しています。そして、 一緒に参加して不安げにステージに立つ大学生や若い歌い手たちを大きな拍手で盛り上 げてくれるのではないか・・・そのように思い描いています。このフェスティバルの長 期的な影響力、展開、発展を祈念しています。

2007年『合唱表現22号』より
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