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清水修『月光とピエロ』の周辺を巡っての、雑感

■言葉と音楽

言葉と音楽の関わりという問題はポストモダン芸術論(映像)を専攻し ていた大学時代からの関心の対象でしたが、一般的に「合唱」を考えた とき、合唱は「言葉を伴なう音楽表現である」ところがやはり一つの大 きな特徴でもあると思います。我々は「祈りが石造りの建物に響き合う 多声音楽」(教会での礼拝音楽等)を文化的ルーツに持つわけではあり ません。にも関わらず、合唱は盛んであり、合唱界が発展してきた背景 にはいろいろな要素があったのだと思います。「お母さんコーラス」に しても「学校でのクラス合唱」にしてもコミュニティ形成のあり方が大 きかったと思いますが、例えばかつての大学男声合唱団の隆盛もその後 の合唱界全体の発展に大きく貢献していると思います。そこでは宗教的 慣習、音楽的志向性ばかりではなく、青年たちの感性が合唱作品に文学 的要素(人生的要素=喜怒哀楽)を見出していたと言えるのかもしれま せん。かつての大学は男女比率が極端でしたから、混声ではなく男声合 唱団(同声)が優勢になるのは当然として、その男声合唱において、近 代詩の格調高い文学的要素(多田武彦作品にしても)と青年的感性と大 学カルチャーが噛み合ったのでしょうか?少なくとも我々は音楽の感想 を述べ合うとき、器楽作品のような純粋音楽ですら「情緒的な言語的文 脈の中(=深い音色であるとか、色彩豊かとか、聴いた内容を言葉を介 して再構築していく訳です)」で捉えなおすわけですが、詩と音楽とが 渾然一体となった芸術作品は、その配合具合(層の重なり)がもっと複 雑であり、我々は価値観、世界観、人生観のようなものを投影し、ぶつ けあいながら表現と格闘してきたと言えるのではないでしょうか…?そ の融合芸術としての合唱作品の一つのピークに清水修の「月光とピエロ」 が位置づくように思います。

■月光とピエロ

「月の光」の恍惚感と孤独感については古典から芸術の題材であり、さら にピエロということではもちろんシェーンベルクが作曲した「ピエロ・リ ュネールpierrot lunaire」(月に憑かれたピエロ)が有名ですが、「月 光とピエロ」は「月の音楽」としても文学的寓意と様々な隠喩に満ちた傑 作です。堀口大學のエロチシズム、ペシミズム、…叙情性だけでなく時に ウィットにも彩られた詩と、清水修の音楽作りがまさに渾然一体となって いると言えるでしょう。その混交具合が演奏家を刺激し、多くの名指揮者 によってこの曲が様々なテンポや表情で味付けされてきましたが、それで も全く輝きを失わず古びない魅力を放っているように思います。また、重 要なのは、ピエロに例えつつ、わが身の恋や孤独や生きることそのものへ の哀歓を歌い手自身が等身大で表現出来ることではないかとも思うのです。 多数のアマチュアの歌い手が知性(言葉)や情感(音楽)を総動員させな がら、明確な形で音楽作りに参加することが出来るという意味でも、この 作品が合唱界に与えた役割の図り知れなさを思います。

□思い出のピエロあれこれ

○踊るピエロ〜86'
大学に入ってから男声合唱を始めた私ですが、最初に驚いたのが東西四大 学合唱演奏会の合同演奏で山田一雄先生が指揮をしたものでした。感情表 現が極端で激しく、ユーモアもあり、指揮者自身が宇宙に向かって踊り出 していったような圧巻のピエロでした。

○俯くピエロ〜87'
慶應義塾ワグネルソサエティーが演奏する畑中良輔先生の素晴らしい解釈 を聴いたのが翌年の東西四連でした。往年の指揮者がよく話題にする「天 上桟敷の人々」のジャン・ルイ・バロー(私は大学時代の専門が映画だった ので、私も何度も見た映画ですが)のバチストを髣髴とさせる「悲哀」と 「暗い叙情性」「ペシミスティックな表情」が深い響きと息の流れの中に 表現されたものでした。「踊るピエロ」とディティールがかなり異なり、 私は不思議でならなかったので、かなり計量的な分析したことを覚えてい ます。(チャイコフスキーの交響曲の一部をトスカニーニとカラヤンと で比較する感じで)

○見上げるピエロ〜89'
それからさらに2年後、今度は自分たちが歌うピエロでした。これも東西 四連。福永陽一郎先生は同志社グリークラブとの30年もの付き合いの総 決算として「月光とピエロ」を指揮しましたが、私にはこう呟いたのです。 「最近ようやく音楽が体から溢れるようになってきたんだよ・・・」。後に本 人をして「音楽の理想郷が出来た」と言わしめるものになり、当日早稲田 グリーを振っていた小林研一郎が「陽ちゃん、フルトヴェングラーになった んじゃない!」と走って来られたのを思い出します。

自分自身の演奏上の思いについては、この師匠「福永ピエロ」に拠る部分 が大きく、そのことは今後指揮者として演奏そのもので語らねばなりませ んが、私にとっての曲集の肝は「悲しいからずや、身はピエロ、月のやも めの父なし子・・・」に続く4曲目の3拍子「月はみ空に身はここに・・・月は み空に身はここに・・・」の繰り返しです。この時我々は一筋の月明かりと自 身の孤独な魂とを対比されながらも恍惚の音楽のカーテンに包まれるよう な感じがします。「理性」の入り込む余地はもう何もなく、ひたすらに音 楽のみが立ち上がる場面です。冴えきった映像だけでなく、寒さや、痛み や、身悶えするような寂しさや、惨めさや、諦めが、…言葉では説明の出 来ない「音楽の塊」として紡ぎ出されているとしか思えません。曲は言葉 を彫刻しながら言葉を超えて音楽の立ち上る瞬間を作っているのでしょう。
曲集は単純に見えて、長・短・属七・減七・増三・減三の和音を巧みに操 りながら、時に小さく時に大きく乱れる心情を伝えます。メロディーは高 くなり低くなりユニゾンとなり、各声部は時に小さな波動を歌いながら、 情感を表現していきます。Dolorosoから始まった曲集は、起伏を繰り返す うちに音楽の脈動となり、宇宙となってフィナーレを迎えるのです。

■清水修の合唱作品

清水修の合唱作品は決して「月光とピエロ」だけで代表されるわけで はなく、複数のピークを持つ山脈から構成されているように思います。 宮沢賢治や、大手拓次のような異色の詩人に対してもその内奥から響 いてくるような音色と旋律が紡ぎ出されているのは驚くべきことです し、高村光太郎の詩からは清廉でありながらストレートで壮絶で、愛 情の深い部分からの音色を響かせています。いずれも、決して言葉に寄 り添うメロディーを付けたという類のものではなく、声と言葉から立 ち上る魂のようなものを楽曲として紡ぎ、見事な音楽的配列に構築し ている融合芸術であると感じます。何より最高傑作とも言える「アイ ヌのウポポ」にいたっては、声そのものを主な媒介とし、人間として の根源的な哀歓と躍動、生命感のようなものを滾らせた比類なき完成 度であり、男声合唱でしか表現出来ない音像を彫塑しています。この ことは清水修が早くから音楽家として男声合唱の「書法を手中に収め ていた」ことの証しでもあるでしょうし、その書法をもってして言葉 に内在するエネルギーと対峙させていたということでしょう。
これほどたくさんの曲に囲まれた今日ですが、敢えて清水作品と向き 合うことは、「合唱とは何か」「言葉と音楽はいかにあるのか」「多 人数によって歌われ、様々な解釈と表現の可能性の中で指揮者はどの ような舵を取っていくのか」…という芸術的ジャンルとしての「合唱 のファンクション」を強く意識し、合唱団を指揮することの面白さと 難しさを実感することになります。加えて「なぜ男声合唱なのか?」 という問いがあるとして、それに対しても、つい饒舌に答えてしまい そうな気もするのです。
今、清水修作品を取り上げることには大きな意義があると言えるでしょう。

2012年 じゃむか通信第54号より
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