Top > 耳をすます
タイトルの周辺より・混声合唱のための「うた」・地球へのバラード ・唱歌の四季 ・白いうた青いうた ・夏は来ぬ〜抒情歌 ・もうひとつのかお ・思い出すために ・浪漫歌謡 ・中勘助の詩より ・さすらう若人のうた ・水のいのち ・Kaj-Elik Gustafsson男声合唱作品集 ・壁きえた ・東京景物詩 ・柳川風俗詩 ・Veljo Tormis男声合唱作品集 ・雪と花火 ・ただたけだけ Vol.1 ・天使のいる構図 2009 ・ただたけだけ Vol.2 ・祈りの風景 ・天使のいる構図 2010 ・赤い鳥小鳥 ・天使のいる構図 2011 ・クレーの絵本第1集 ・ただたけだけ Vol.3 ・やさしさとさびしさの天使 ・シューベルトの合唱曲について ・岬の墓 ・わらべうたの風景 ・拍手は人を育てる ・オール三善 ・帆を上げよ、高く ・若き芸術家とのダイアローグ ・ベートーヴェン、君を愛す |
拍手は人を育てるアルティ声楽アンサンブルフェスティバル2016パンフレットより
習っていたエレクトーンの進度が兄と比べて圧倒的に遅く、練習が嫌で嫌で仕方な
かった私がどうして合唱指導を続けているのかと考えたとき、行き当たる記憶が一
つありました。どういう経緯でかはわからないのですが、小学校の1年生の頃に父
親から言われて親戚の結婚式で一人で歌を歌ったのです。それが大絶賛されて、そ
の後しばらく「あのボーイソプラノはどこにいる?」「君はウィーン少年合唱団に
入るのか!」と言われ続けていたことがありました。実は、当時、極度の恥かしが
り屋で、実際その少し前に人前に出る場面があったのですが、良い結果が出せず(
兄の後ろに隠れてもじもじしていた)父親に厳しく叱られた記憶があり、自分なり
に起死回生を掛けて、堂々と大きな声で歌ったのだと思います。以後私の中では、
決定的な自信が生まれ「自分には歌手になる素養がある…」と、どこか信じていた
ように思います。何しろ、合唱部がなかった高校時代にわざわざ自ら第九を歌いに
一般 の合唱団の扉を叩いたくらいです。 |