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「唱歌の四季」

淀川混声合唱団代第10回演奏会より

毎年、夏が近づくと京都の古い軒先には七夕飾りが飾られ、風鈴の音が雨上がりの風になびきます。 私のマンションの近くからは夜ともなると祇園囃子が微かに聞こえてきますので、火照った身体をまだ 冷め切らない宵の窓越しにさらし、毎晩、音が聞こえてくる方向をぼんやり眺めていました。…そう言 えば、縁側で蝉の声を聴きながら一日中寝転がっていた暑い日も、裏庭で種を飛ばしながら西瓜を食べ た季節も、もうすぐやってきますね…。それにしても、我々の「季節に対する思い」は、何故かノスタ ルジックな思い出を伴っているようにも思います。それは、季節の匂いが薄らいできたせいでしょうか? それとも、季節の透明さがとりわけ無垢な心に新鮮に溶け込むせいでしょうか?

…さて、我々の歌う「唱歌の四季」の各曲は、「誰もが知っていて、誰もが口ずさんだことのある… 親しく懐かしいメロディー」ばかりです。
いわゆる「唱歌」(つまり旧制小学校の音楽の教科書に掲載されていた曲やそれに類するもの)の中には、 優れたもの、芸術性の高いものなど、名曲が多いのはよく知られ、童謡という枠を大きく超えて「日本人 のアイデンティティー」というような言われ方をされることすらあります。これらの曲は古謡や民謡とは 別の種類のもので、多くは明治期に西洋音楽が入って来てから西洋の音楽書法に乗っ取って作曲されたも のばかりですが、単なる西洋音楽の模倣ではなく、日本語のイントネーション(抑揚)と、日本人的感性 (季節感)、言葉の叙情性を大切にしながら作られたものだとも言えるでしょう。

どれも美しく懐かしいメロディーばかりですが、この曲集のタイトルを取り上げるまでもなく、これらの 曲に共通するのは「季節感」とそれらの持つ独自の表情ではないでしょうか。日本の抒情歌・唱歌の多く が「季節感」を漲らせているということは、古くから我々の生活や日常の感覚の中に深くそれが根づいて いるということなのでしょう。歌ってみると、「そうそうこんなことがあった」「あんな風景を見た!」 という気持ちと共に豊かな季節の匂いが目の前に蘇ってくる気がします。・・ともすれば見落としがちな季 節の目くばせはまだいろんな所に潜んでいるのでしょう。

夕月、霞、鐘の音、すげ笠、楓、つた、…。濡れた小石ように輝いて、青葉のように香 り立つ言葉の数々を、豊かなイメージの中に感じながら歌ってみたいものです。
「夕月かかりて・・匂いあわし・・」
ぼんやりとして何とも言えない、美しい情景なのでしょう?・・

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