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「さすらう若人のうた」   グスタフ・マーラー〜その時代と音楽〜

同志社グリークラブ第85回演奏会より

音楽は心臓の鼓動から始まる。不安と死への陶酔に向けられた混沌の時代での足音。
「やがて私の時代がくる」と叫んだマーラーの音楽は新たな世紀末を迎えた今、次々に 蘇ってきている・・・。

マーラーの時代は世紀末から世界大戦に向かってのどん詰まり、混沌としたヨーロッパ のデカダンスの時代であり、その長大な交響曲には世紀末の退廃の匂いを一身に背負い 込んだような雰囲気が漂う。
世紀末芸術の特徴は「死」と「倒錯性」と「東洋への脱却」の三つではないかと思うが、 「死」は従来の価値観が行き詰まったこの時代全体の不安な影として芸術家全体を覆う と共に、マーラーにとっては、そのバイオグラフィーに密接に関わり、彼の音楽の源泉 ともなった。東洋への脱却は、マーラーの音楽の中では単に表面的な東洋趣味ではなく、 現代的な虚無感を表現するものとして、あるいは、古典音楽の規則や慣習を突き破り、 今までに無い調性や冗長な形式を作り出していったという点で特徴的に現れていると思う。

マーラーが「やがて私の時代がくる」と叫んだのは有名な話である。事実その通りにな ったのだが、そこには偶然という言葉は存在せず、マーラー音楽への時代の要求がある からなのではないだろうか。
新たな世紀末を迎えた今、西洋合理主義的なモダニズムが行き詰まりを見せ、目的のな い不安に満ちた混沌の時代を迎えているが、マーラーの音楽は情感に満ち溢れていなが ら、時に空虚であったり大爆発を起こすなど、現代人の感性をさらけだしている。
マーラーの音楽には意味であるとか解釈ということを越えた曖昧さが共存しており、 丁度サーカスでラッパが意味もなく吹き鳴らされるように、楽器が大音場をつくりだし たと思えば突如感傷的になったりする。感情も明晰なものではなく、人生への漠然とし た不安や社会や死に対する曖昧な恐怖感のようなものが源泉となっているのではないか とも思う。

考えてみれば現代に生きる我々も、真剣に生きれば生きるほど漠然とした不安と戦わね ばならない。理由があって悲しいといったことだけでなく、何か人生に対してつかみ所 のない不安を感じる社会でもある。そんな価値観のはっきりしない混沌の時代であるか らこそ、不条理と矛盾をそのまま肯定したようなマーラーの音楽は余計に迎え入れられ たのだといえると思う。

トランペットの高鳴りに青春の激情を感じ、弦の不安定なハーモニーに憂欝を感じ、短 調と長調の交錯に入り交じる不安と期待を感じ、不自然なオーケストレーションに社会 の喧騒を感じ、マンドリンの微かな音に夏の夜の孤独を感じる・・・。そうすることに よってマーラーは我々のすぐ側にいるといえるのではないだろうか。そして、そのよう な情感を保っているからこそ、マーラーは行き詰まった現代音楽より現代的であるし、 この時代最も愛されている作曲家となっているのだ。

さて、マーラーの創作活動の二本柱は交響曲と歌曲であったが、「さすらう若人の歌」 は歌曲の代表作である。曲は失恋の悲しみの歌に始まり、2曲目では自然の美しさを 称え、明るさを帯びるが、やがて自分への寂しい懐疑にもどる。3曲目で苦しみが一気 に激情となって吹きだし死の予感とともに消え、終曲では葬送行進曲のリズムが現れ、 苦悩が拭い切れないながらも、東洋的な諦念と倒錯的な夢心地の中で終っていく。

この曲に関して大切にしたいのは、第一に若い感情の表出である。「さすらう若人」と いう語感の持つ魅力と共に、詩と音楽の性格からもこの曲は青年期の我々の感情と覆い 重なる部分が多い。さすらいとは、魂の彷徨のことである。何を目標にしていいか分か らない時期、何かを必死になって模索しようとするこの時期、・・・失恋という体験も さることながら、時代を覆う漠とした不安と戦い、いろんな挫折に出会い、同じ事を繰 り返し、青春の意欲と世界の不透明さとの矛盾に真理の光を見失ってしまう時・・・
様々な意味で「さすらう若人」である我々は、現世への盲目的な追従を拒否したとき、 その漠然ととした浮遊感の中で真の自己と人生を体感し得る。しかし、その世界で生きて いかねばならないこととの矛盾と恋愛感情との矛盾が一体となってさすらいの途にのし かかる・・・そんな時期の複雑な感情のいろいろをこの曲に向かってぶつけてみたとき、 この音楽の持つ真の輝きを見出だし表現する事ができるのではないかと思う。
大切なのは挫折を乗り越えることでも、さすらいにピリオドを打つことでもなく、その 魂の彷徨の中で「憧れ」の気持ちを持ち続けること・・それを抱き締めたくなる感情を 忘れずにいることであるようにも思うのだ。

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