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「柳川風俗詩」

クローバークラブ演奏会 2006.4

・・・私の郷里柳河は水郷である。そして静かな廃市の一つである。
自然の風物はいかにも南国的であるが、すでに柳河の街を貫通する数知れぬ掘り割 りの匂いには、日に日に廃れゆく旧い封建時代の白壁が今なお懐かしい影を映す。
                                       ――北原白秋『思ひ出』より

北原白秋というと美しい情景を伴って数々の童謡の歌詞が浮かんでくる。ただ、詩人 としての彼はむしろ、匂い立つような『浪漫主義』の美の中にどっぷりと浸っており、 大正期特有の色鮮やかなデカダニズムを持ち合わせていたように思う。
「柳川風俗詩」を含む詩集『思ひ出』は明治の末期に編纂されたものであるが、当時 はフランスの象徴詩が紹介されたこともあって、内容にもレスプリヌーボー、あるい は南欧風のエキゾチシズムが匂っている。私の手元にある柳河で買い求めた詩集(復 刻本)の表紙にもトランプのクインの哀しげな瞳がカラー印刷されているのだが、 白秋が好んで描いた題材は、「黒い子猫」であったり、「青いびいどろ細工」「幻灯」 「ウヰスキー」「銀の蜻蛉」・・・など、官能的と言えるような肌触りをもったオブジェ ばかりである。内容は時に残酷で、惨く哀れで悲しく美しい。紅や黒や金や緑青、黄 色や江戸紫など鮮やかで絢爛な色を散りばめながらも、それは入り日に照らされたど こか哀れな輝きを放っているのである。

もう一つ特徴的なのは、例えばこの詩集『思ひ出』の表題が『O*MO*I*DE』と綴られて いることからも分かるが、彼が詩や文の中にローマ字を混在させている点である。
特に「ONGO」や「GONSHAN」など柳河の方言をローマ字標記することによって、一種の 呪文的な表現とエキゾチックな雰囲気を醸しだすだけでなく、詩を音楽的とも言える 「感覚」の方へ回帰させているとも言えよう。
・・・水の音にまぎれるように聞こえてくるラッパの音、女の手に薫るかきつばた、三味 線のか細いつまびき・・・この曲集に描かれた言葉と風物は、はるかな記憶を辿るような 感覚と共に水に浸されたような見事な抒情を形作っていると言えるのだ・・・。

さて、一方で作曲者の多田武彦氏については男声合唱の世界においては改めて語るま でもないだろう。
この曲は氏の処女作として昭和29年に作曲されたが、多くの多田作品の中においても、 もしくは日本の男声合唱のレパートリーの中でも屈指の名曲として数え上げられ、こ の中の曲を歌ったことのない男声合唱団員は少ないのではないかとさえ思える。
叙情的なメロディーは、ふと鼻歌を歌うようなのどやかな雰囲気を持っているが、多 田作品の特徴は何より詩の選択眼とも言えるだろう。あたかも詩の中に内在していた としか思えない音楽を見抜き、それに忠実にメロディーとハーモニーを紡いでいるよ うに思える。
特に「雪と花火」「東京景物詩」「三崎のうた」・・・の一連の白秋のテキストに作曲 された作品には、詩の源に存在する白秋の心の揺れや逃避的傾向、浪漫的傾向が見事 な抑揚の中に表現されており、多田芸術の真骨頂とさえ思える。
このたび先輩方と共に舞台に立ち、久しぶりにこの男声合唱の名曲にチャレンジ出来 ることはこの上ない喜びでもある。言葉の柔らかい表情を愛しむ演奏が出来ればと思 っている。

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