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「壁がきえた」頃 〜「白いうた・青いうた」より〜

なにわコラリアーズ第4回演奏会

・・そう言えばその秋、僕らはテレビを観ながら手作りの芸術評 論誌の製本に追われていた。
テレビでは民衆が「ベルリンの壁」を打ち砕いている映像を繰り返し流していた。 壁はきえ、「近代」という名の対立軸は大きな歴史の中のほんの一瞬を支配しただけ だということが分かった。
人は「イデオロギー」や「民族」という「正義」の名のもとに憎しみあってきたが、 その戦いを一つ乗り越えたとき・・、すなわち「壁」という対立軸が消えたとき、 そこには、辿りついた果ての「結末」ではなく、茫洋と広がる地平と幾度か繰り返 されてきたのかもしれない再生のイメージを見たような気がした。

さて、本日の第3ステージ「壁きえた」は、我々男声合唱団にとっては願ってもな い素敵なレパートリーである。
この曲は、新実徳英の歌曲「白いうた・青いうた」から男声合唱用に曲をセレクト しアレンジしなおしたものであるが、そもそも、既存の詩にメロディーをつけると いう通常の作曲の方法を採用せず、メロディーを先に作ってそこに谷川氏が詩をつ けていくという試みがなされている。
若い世代を意識した新実氏の美しいメロディーラインが、伝説の詩人谷川雁氏の想 像力と詩的なエネルギーを刺激し、メロディーと歌詞のぴったりよりそった魅力的 な歌の数々が作られていったのである。

谷川雁のこれらの詩の中に皮相的な風刺や寓意ばかりを読み取るのは面白くない。
ある意味では「近代」という対立軸の片側の住人であり、生涯を闘ってきたと言え る谷川氏だが、これらの詩からは、特定の概念を導き出すようなメッセージではなく、 むしろ広い時空を駆け巡る言葉のオブジェの断片や、モダニズム以後の地平が見える。
それが、意図的であるかどうかの問題ではなく、「壁きえた」というタイトルに統合 された8つの詩のイメージは、まるで理念と心情との微笑ましくも真摯な葛藤の末、 自ずとその最後の部分で本質が滲み出てしまったとでも言うような、・・例えてみれ ば、激しい生命の闘いの合間にふと漏らしたため息のような(しかし、決して甘美な ため息ではない)・・そんな作品にも見えるのだ。

万華鏡のような不思議に満ちた舞台設定の中で、詩の中の主人公たちは、喪失の情 (孤独感)をぐっと胸に堪えたまま故郷から逃れ、当ての無い旅を続けているようだ。
神話:御伽噺:近代:現代:夢想…といったような時空を超えた循環の中では、主人公 たちが遥か遠くを眺める視線が意識されている。
政治や戦争や貧困といった様々に移り変わっていく事態に翻弄され、結局「正義」なん て信じられないんだ・・と分かってながらも、知らず知らずのうちに駆け出し感情を吐 き出すようにしている彼らの心には強がりの反面、しがみ付き、抱きしめられたくなる ような究極の「愛情」を希求しているようにも見えるのである。
まるで、それが「北極星」に象徴される「ただ一つの動かないもの」であるかのように・・

・・とは言え、メロディーのとびっきりの美しさ・・、血の滲むよう な言葉の強い抒情性・・、そこから膨らみ出した世界の豊かさの前には、全ての解説は 虚しい。
ふんだんな練習量を誇るわけではない我々であるが、だからこそ、音楽の受け止め方の 本質を見つめてみたい・・。感性の鏡を反射させて、そこに様々なストーリーやイメー ジを映し出しながら歌ってみたい・・。
無数のファンタジーに満ちた世界を精一杯に呼吸しながら、新鮮な色合いに満ちた演奏 を披露出来ればと思っている。

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